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この当時、多くの地質学者は、地球上では動植物の創造がつづいており、これらの創造物は地表の激変など突然の天変地異によってほろびるという、いわゆる天変地異説に固執していた(→ 地質学)。この説にしたがえば、最後の天変地異はノアの洪水で、このときノアの箱舟にのった生物以外はすべて絶滅し、化石になったという。天変地異説の支持者は、種は個々に創造され、不変であると考えた。
イギリスの地質学者チャールズ・ライエルは「地質学原理」(1830~33)で、種の不変性に関する部分をのぞく天変地異説の見解に異をとなえた。地球の表面は、自然の力が長期間にわたって均一に作用する結果、つねに一定の変化をこうむっていると主張した。 ダーウィンはビーグル号の船上で、自分の観察したものの多くがライエルの斉一説に適合していることに気づく。しかし化石や現生の動植物を観察することで、ライエルの支持する、種は個々に創造されたとする説に疑いをいだくようになった。
たとえば、絶滅種のものであると思われる化石が、同じ地域でみられる現生種とよく似ていることに注目する。エクアドルの沖合に位置するガラパゴス諸島では、ゾウガメ、マネシツグミ、フィンチなどの種が島ごとにちがっていることを観察した。 これらのさまざまな種はたがいに近縁関係にあったが、島によって体の構造や採食の習性がことなっていた。こうした観察をとおして、類似しているが異種の生物の間にどのようなつながりがあるのか、という問題にたちむかうことになる。
ダーウィンは、1836年にイギリスに帰国すると、種の問題に関する最初の覚え書きに、種の可変性についての見解を記述しはじめる。
生物の進化に関する彼の考えは、イギリスの経済学者マルサスの「人口論」を読んだことで焦点がしぼられた。マルサスは人口のバランスがいかにたもたれるかを論じ、人口は食糧の増産がまにあわないほど急速に増加するのが常であるため、飢饉、病気、戦争などによって人口の増加を抑制しなければならないと主張した。
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