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大乗仏教の1宗派で、禅(具体的には坐禅)によって精神的安定をえて悟りにいたることを目的とする。不立文字(ふりゅうもんじ)を原則とするので、他宗のように中心的経典はたてない。また、悟りの機微は師から弟子にうけつがれるとする師資相承、師の心を弟子につたえるとする以心伝心、文字に書いた教えだけでなく全人格的な教えが必要だとする教外(きょうげ)別伝など、種々の特徴をもつ宗派である。元来、禅は仏教の基本的実践の重要な徳目であるから、古くからインドで重視されていたが、宗派として確立したのは中国においてである。ただし、禅宗という語がもちいられるのは唐代末期であり、そのころから、禅宗の歴史の起源をどこにもとめるかが問題になってきた。そして初祖と考えられたのが達磨である。
達磨は北魏のころ、インドから中国へきて、「二入四行(ににゅうしぎょう)」という独特の禅法を説いたという。この教えは、弟子の第2祖慧可、3祖僧璨(そうさん)、4祖道信、5祖弘忍とうけつがれ、禅宗教団は大勢の門下をかかえる大教団へと発展した。弘忍のあとは、神秀と慧能という2人のすぐれた弟子がつぎ、神秀は北宗禅を、慧能は南宗禅をひらいたが、南宗禅が正統とみとめられ、慧能が6祖となった。 慧能ののち禅宗は、臨済宗、潙仰(いぎょう)宗、曹洞宗、雲門宗、法眼宗の五家が分立し、これに臨済系の分派である黄竜派と楊岐(ようぎ)派をくわえた五家七宗が中国禅宗のおもな分派となった。ついで馬祖道一(ばそどういつ)や、そのあとをついだ百丈懐海が禅宗の独立を確実なものにし、禅宗は唐代から五代をへて宋代にさかえて、中国仏教の主流をなすにいたった。
日本につたえられた禅は、すべて五家七宗に分派した後の宋朝禅だった。禅宗を日本に最初につたえたのは栄西である。栄西は鎌倉初期に入宋して臨済宗黄竜派の禅をつたえ、鎌倉幕府の帰依(きえ)をうけて京都に建仁寺をひらいた。栄西の禅は他仏教もとりいれた兼修禅の面が強く、この流れからは円爾(えんに)や覚心がでた。その後つづいて、蘭渓道隆や無学祖元、一山一寧など、宋から来朝する禅僧があいついで正統の南宗禅をつたえた。 鎌倉時代のもうひとりの代表的な禅僧、道元も、入宋して曹洞宗を日本につたえ、京都で正法禅を説いたが、比叡山の迫害により、越前に永平寺をひらいて弟子を教育した。道元の禅は「只管打坐」(しかんたざ:ひたすら坐禅すること)の純風で、その哲学的思索の深さは「正法眼蔵」によってしめされた。曹洞宗は、懐奘や義介(ぎかい)、瑩山紹瑾(けいざんじょうきん)など多くのすぐれた弟子がでて、全国的にひろまった。 室町時代にはいると、臨済宗は京都や鎌倉を中心としてさかえ、夢窓疎石や宗峰妙超(しゅうほうみょうちょう)といった弟子をだし、その後、春屋妙葩(しゅんおくみょうは)、義堂周信、絶海中津をはじめとする五山文学で活躍した名僧を輩出した。また、禅宗の寺格をさだめた五山十刹(じっせつ)の制度も、義堂の意見にしたがって足利義満がととのえた(→ 五山)。 江戸時代には、明から来日した隠元が宇治に万福寺をひらいて明朝風の禅をつたえ、黄檗宗をおこした。その近世中国の学問や文化をつたえる宗風は、日本の仏教界や文化に大きな影響をあたえた。臨済宗からは沢庵や白隠が、曹洞宗からは鈴木正三や良寛がでた。明治以後、日本の禅宗は鈴木大拙らの活躍で海外でも知られるようになった。
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