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19世紀の中ごろまでには、スペインにかわってイギリスがこの地域を左右する最大の外国勢力になっていた。17世紀に海賊と木材搬出の基地として出発したベリーズの港も、中央アメリカの外国貿易をささえる最重要港に成長していた。イギリスの影響力はカリブ海沿いにパナマにまで達し、1862年にはベリーズが正式にイギリスの植民地(イギリス領ホンジュラス)となった。しかし49年以後、カリフォルニアの金鉱にむかう最短ルートとして中央アメリカが利用されるようになると、アメリカ合衆国もイギリスに対抗するようになった。 1850年、クレイトン・バルワー条約がむすばれ、米英間の紛争のいくつかが解決された。しかし、55年には一攫(いっかく)千金をもくろむアメリカ合衆国の山師ウォーカーが部下をひきいてニカラグアに侵入し、権力をにぎった。57年、中央アメリカの保守派は統一軍を形成し、イギリスの支援をうけてウォーカーを追放した。一方、55年にパナマ鉄道が完成したことから、中央アメリカの商業の中心はベリーズからより交通の便がよい太平洋岸の港へとうつり、こうしてしだいにイギリスの影響力は小さくなっていった。 1870年以降、自由主義派の独裁政権があいつぎ、秩序と進歩の名のもとにコーヒー産業を奨励し、地域の代表的な輸出品にそだてた。また、多様性にとんだ農業の犠牲の上に、外国資本が支配する大規模なバナナ園がつくられた。とくに1900年以降、アメリカのユナイテッド・フルーツ社が、バナナ帝国としてこの地域の経済に大きな勢力をほこった。同社は鉄道の敷設、海運の整備、そのほか関連事業を展開したが、地元の中央アメリカでは反感をこめて「タコ」とよばれた。アメリカの資本と政治力は、03年のパナマ独立のころから圧倒的な支配力をもつようになった。アメリカは中米司法裁判所の設立に協力したものの、12~33年にアメリカ軍がニカラグアを占領し、同裁判所の有効性をみずからそこねた。 20世紀にはいり経済成長がすすむと、新興の中産階級が勢力をのばし、伝統的な特権階級の支配体制をおびやかすようになった。コスタリカを皮切りに、20世紀半ばまでにすべての国で改革あるいは革命政党が出現した。
20世紀後半、近代化への道をあゆむ中央アメリカ諸国は、その多くが貧困、政情不安、社会正義の欠如といった問題をかかえていた。ニカラグアを長期にわたって支配していたソモサ家が1978~79年に左派のサンディニスタにより打倒されると、アメリカは反革命勢力コントラへの積極的支援を開始した。この結果、両勢力とも多数の死者をだし、大きな損害をこうむった。→ イラン・コントラ事件 このニカラグア内戦は、チャモロ大統領の誕生によってコントラが武装解除して1990年に終結。またパナマでは、政治的抑圧と腐敗がアメリカの干渉をまねき、コロンビアの麻薬カルテルと通じていたといわれるノリエガ将軍が、89年にアメリカ軍により実権をうばわれた。翌年にノリエガは逮捕され、アメリカでの裁判によって有罪の判決をうけた。 エルサルバドルでも1980年代を通じて内戦がつづいたが、92年、ゲリラ側と政府との間に和平協定がむすばれ、停戦が実現した。中央アメリカで最後まで解決しなかったグアテマラの内戦も96年末には和平が実現し、翌年に武装解除している。99年12月31日には、パナマ運河地帯の主権がアメリカからパナマに返還された。
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