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ギリシャ南部の都市。英語ではコリントといわれる。ペロポネソス半島内にあり、古代都市コリントスの遺跡に近いコリントス地峡に位置する。小規模な商業地で、ナフプリオン、パトラス、アテネと幹線道路と鉄道でむすばれ、港は1893年にコリントス地峡に船舶用の運河が完成して以来にぎわっている。交易されるおもな産品は、スグリ・トウモロコシ・はちみつ・絹・オリーブ油。旧市街が地震で破壊されたのち、58年に現市街が建設されたが、1928年の地震でふたたび大打撃をうけた。人口は2万7412人(1991年)。
ギリシャの古代都市コリントスは、現在のコリントス市の南西に位置していた。ミュケナイ時代以前の陶器が発掘されて、はやくから住民がいたことがわかっているが、やがて前1000年以前にペロポネソス半島に侵入してきたドリス人のもとでさかえるようになった。コリントス湾とサロニコス湾に2つの港をもち、交通の要衝にあったので、前650年ごろまでにはギリシャ第一の商業都市となっていた。 この時期にコリントスが植民した都市の中には、前8世紀のコルキュラ(現ケルキラ)とシュラクサイ(現シラクーザ)、前7世紀のポテイダイアがある。 アテネが商業と海軍のライバルとして興隆してくると、コリントスはスパルタと同盟してペロポネソス戦争(→ ギリシャ)でアテネとたたかった(前431~前404)。アテネがやぶれてスパルタがギリシャの覇権をにぎると、今度はペルシャの支援のもとでアテネと同盟し、スパルタとたたかった(コリントス戦争、前395~前386)。この戦争で疲弊したコリントスは、前338年にマケドニアのフィリッポス2世に占領された。前224年にはアカイア同盟にくわわり、まもなく 同盟の中心になったが、前146年、ローマによって同盟は解体され、コリントスは破壊された。前44年ごろカエサルが廃墟だった都市を再建し、その後はローマの属州アカイアの首都となった。後395年には西ゴート人の略奪をうけている。 中世から近代にかけてもコリントスの支配者はしばしば交替した。1458年にオスマン帝国に占領され、1687年にはベネツィアに、1715年にはふたたびオスマン帝国に占領されて、1822年のギリシャ独立戦争までその支配下にあった。その後、58年におきた大地震で街は壊滅したが、96年以降、廃墟の発掘がすすみ、ギリシャ・ローマの彫像、アポロン神殿や円形演技場などギリシャ・ローマ建築の遺跡が発見されている。
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