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  • 総合建設業 株式会社プロバンス

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  • プロヴァンス - Wikipedia

    プロヴァンス (la Provence) は、 フランス 南東部の地域である。 「プロヴァンス」の名称は、 ローマ帝国 の属州( プロウィンキア 、 Provincia )であったことにちなみ、 プロヴァンス語 で Provènço や Provença などとも呼ぶ。

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プロバンス

プロバンス Provence
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

フランス南部の地方で、かつての州である。その範囲は、現在のプロバンスアルプコートダジュール・レジオン(地域圏)に属する、ブーシュデュローヌ、ボークリューズ、アルプドオートプロバンス、バール、アルプマリティムの5県にほぼ相当する。

II

自然

西はローヌ川、東はイタリアとの国境をなすアルプスの山々、南は地中海でかぎられ、北にはバントゥーム山やリュール山がそびえる。大部分が山地で、地形は変化にとみ、アルピーユ、リュベロン、サントビクトワール、サントボームなどの石灰岩質の山脈が東西にはしり、海岸沿いには結晶片岩からなるモール、エステレルの古い山地がのびている。これらの山地の間に、アプト、エクサンプロバンスなどの盆地やバランソル、カンジュエールなどの高原がまじる。西部のローヌ川河口のデルタ地帯にはカマルグの湿地が広がり、地中海にそってコートダジュールがのびる。

気候は地中海性で、夏は暑いが乾燥している。年間の日照時間は2500~3000時間にも達する。冬は温暖であるが、偏西風の影響で雨が多い。また、北からの冷たい季節風ミストラルがふきあれ、降雪もみられる。山間には乾燥に強いコルクガシやオリーブなどの硬葉樹やイトスギが生育、集約的灌漑農業が発達して、ブドウやラベンダー、ミモザなどの畑も広がる。

おもな都市は、沿岸部ではマルセイユトゥーロンニースカンヌなどである。なかでもマルセイユ都市圏は100万をこえる人口をもつ。内陸部ではアビニョンとエクサンプロバンスが重要である。

III

観光

プロバンスは国際的保養地のコートダジュールなど観光資源にめぐまれ、名所旧蹟も数多い。ガロ・ロマン時代(ローマによるガリア支配の時代)の遺跡としては、アルル、フレジュス、オランジュの劇場、ベゾンラロメーヌ、カルパントラの凱旋門、アルルの円形闘技場が名高い。プロバンス・ロマネスクの建造物としては、アルルのサン・トロフィム教会や、セナンクの12世紀のシトー会の大修道院がある。またタラスコンの城も城塞の一例として興味深い。ゴルド、レボードプロバンス、エズなど中世のたたずまいをのこす村々も保存されていて、かつての領主たちの権勢をものがたる。

IV

歴史

紀元前7世紀頃、ギリシャ人がこの地方に進出し、植民都市マッサリア(現マルセイユ)を建設した。その後しばらくは平穏な時代がつづいたが、前2世紀にギリシャが弱体化すると、マッサリアの住民と、先住民族であるリグリア人、ケルト人との間に紛争がおこった。マッサリア救援のために軍を派遣したローマが、前125年にはガリア南部を支配下におき、「属州(プロウィンキア)」とよんだ。プロバンスという地名の語源である。彼らはここを拠点としてガリアのローマ化をすすめ、前27年に全ガリアは4つの属州に編成され、プロウィンキアはガリア・ナルボネンシス属州となった。

当地の伝説によると、キリストの昇天後エルサレムをおわれたマリ・ジャコベ、マリ・サロメ、ラザロ、マルト、マリ・マドレーヌと召使のサラは、地中海に面したサントマリドラメールの浜に小舟でながれつき、そこから各地に布教の旅に出たという。しかし実際にプロバンスにキリスト教が広まったのは、コンスタンティヌス1世による公認(ミラノ勅令)以降であろう。帝はアルルの町を愛し、そこにくらしたという。

5世紀になるとゲルマン民族の諸部族が次々に侵入し、プロバンスの繁栄と平和をおびやかした。417年西ゴート族(ゴート族)がアルルを占領し、ガリアの南部は西ゴート族とブルグント族の支配下に入った。507年ポワティエ近郊で西ゴート族がフランク王国クロービスにやぶれてスペインにさると、当時イタリアを占領していた東ゴート族が北上し、508年アルルをうばいプロバンスを領土とした。東ゴートは東ローマ皇帝の代官という立場をとり、古代ローマの諸制度を復活させた。また5世紀以降、フランク、東ゴート、ブルグントが次々とアリウス派からカトリックに改宗し、プロバンスにも修道院建設の動きが広がり、多数の修道院が建設された。

536年、プロバンスの新しい支配者としてフランク王国が登場した。しかしクロービスの死後帝国は分割相続のために分割と統合をくりかえし、不安定な状況におかれたプロバンスは衰退した。さらに8世紀にはイスラム教徒の侵入にくるしんだ。カール・マルテルの活躍によってイスラム教徒は一時後退し、751年に成立したカロリング朝のもとで、当地も束の間の平和をとりもどした。しかしカロリング朝もカール大帝(シャルルマーニュ)の時代に最盛期をむかえたが、大帝の没後は急速に解体にむかった。855年に5つの王国に分裂し、そのひとつとしてプロバンス王国が成立した。王国は従来からのイスラム教徒にくわえ、地中海からローヌ川をさかのぼってくるノルマン人にもなやまされた。やがてブルゴーニュ王国に併合され、1032年には神聖ローマ帝国に合併された。しかしながら自治権はみとめられていた。

イスラム教徒、ノルマン人などの異民族の侵入に対し、城をきずいて村や住民をまもったのは地方の有力者であり、ここに封建領主が誕生した。かつて地域の中心であった都市は衰退し、領主の支配下に入った。しかし11~12世紀の経済的繁栄の結果、都市はしだいに自治をとりもどした。領主から自治をゆだねられた市政役人(コンシュル)が参事会(コンシュラ)を組織して都市の行政をにない、領主から自立していった。このような都市の繁栄が、プロバンスのロマネスク芸術やトルバドゥールとよばれる吟遊詩人を生みだした。

やがてトゥールーズ伯やバルセロナ伯など周辺の強力な領主がプロバンスを支配した。また王領地の拡大をめざす国王もキリスト教異端のカタリ派撲滅を口実に遠征をくりかえした。1226年にはルイ8世が大軍(アルビジョワ十字軍)をひきいてアビニョンを攻囲し、ラングドック各地を制圧した。その結果29年にパリ条約がむすばれ、ローヌ川右岸の地域がトゥールーズ伯から国王にゆずられた。

1246年にトゥールーズ伯領を相続したベアトリス・ド・プロバンスがアンジュー公シャルル(アンジュー家)と結婚し、プロバンスはアンジュー公の手にわたり、そのすぐれた統治のもとで平和と秩序を享受した。また1309年にはローマ教皇クレメンス5世が教皇庁をローマから南フランスのアビニョンにうつした(アビニョン捕囚)。その後77年まで教皇庁はアビニョンにとどまり、町は大きく発展した。

14世紀の後半、プロバンスは苦難の時代をむかえる。たび重なる飢饉と盗賊化した傭兵による略奪にくわえて、1348年のペスト(黒死病)の大流行が地方を荒廃させた。アンジュー公シャルルの曽孫(ひまご)にあたるジャンヌ・ド・プロバンスが82年に暗殺されるや、相続をめぐる争いも長くつづいた。国王シャルル5世の甥にあたるアンジュー公ルイ2世が勝利をおさめ、その2男ルネ1世(善良王)が1434年にプロバンスを手にする。彼の治世はふたたび平和と繁栄をもたらしたが、81年ルネをついだ甥のシャルルが没すると、プロバンスは王領地に併合された。

16世紀の宗教戦争の時代、プロバンスはプロテスタントの拠点となっていた。とりわけローヌ川の西、セベンヌ、ビバレ地方に新教が広まっていた。またオランダのナッサウ家に属していたオランジュ公国もプロテスタントの砦であった。そのため戦乱による痛手をこうむった。

18世紀にやっと真の平和がもどり、農業も商業も黄金時代をむかえた。しかし19世紀を通じての全国的な工業化の流れからはとりのこされていった。アンシャン・レジームのもとではヨーロッパ屈指の港としてさかえたマルセイユも、フランス革命後はナポレオンによる大陸封鎖のもたらした海運業の衰退の影響をうけた。マルセイユがかつての勢いをとりもどすのは、フランスによる北アフリカの植民地化がすすんでからのことである。

第2次世界大戦中の1944年6月6日、連合国軍は北フランスのノルマンディ上陸作戦を敢行したが、同8月15日にも50万の連合軍兵士がプロバンスの海岸に上陸し、フランスをナチス・ドイツから解放するためにたたかった。

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