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宇宙を飛びたいという憧(あこが)れは、長い間にわたって伝説や物語の中でかたられてきた。ギリシャ神話のイカロスの話(→ ダイダロス)はあまりにも有名であり、2世紀ギリシャのルキアノスが「本当の話」でかたった月世界旅行のSFでは、暴風雨によって月まで飛ばされる船と乗組員が登場している。近代科学が誕生した17世紀以降にも、ケプラーの「ソムニウム(夢もしくは月の天文学)」という科学小説では妖精によって月へはこんでもらっている始末だった。人類は、宇宙への憧れを黙々とそだてつづけ、実現の手段がみつからないまま、雄々しくむなしく宇宙をはばたいていたのだった。
実際には、宇宙飛行の原理はアイザック・ニュートンの万有引力と運動の法則(→ 力学)で潜在的には確立された。しかし、その法則をつかった宇宙飛行は、19世紀後半のジュール・ベルヌのえがいたSFをもって嚆矢(こうし)とする。彼は、1865年に出版した「月世界旅行」の中で、地球から月への脱出速度を秒速約11kmと見積もり、砲身270mの大砲から砲弾の形をした宇宙船をうちだすというストーリーをつくりあげた。 最大加速度が2万G(地表の重力加速度の2万倍)にも達するこの筋立ては、実現の無理なものではあったが、ベルヌのえがいた月旅行は、うちあげ以外はきわめてリアルかつ科学的で、人々の宇宙旅行への夢は一気にふくらんだ。 ベルヌの本の愛読者の中から、宇宙飛行のパイオニアたちが続々と登場した20世紀初頭をへて、ついに人類の宇宙飛行は花開くことになる。宇宙飛行がロケットによって可能であることを認識した最初の人は、ロシアのコンスタンティン・ツィオルコフスキーであるといわれる。彼は1903年の「反動装置をもちいた宇宙空間探検」という論文で、ロケットこそが唯一の宇宙飛行の手段であること、そしてそれまでの火薬をもちいたロケットではなくて液体の推進剤が有効であることをのべている。 そして1930年代から40年代にかけての世界的なロケット・ブームがおこる。とくにドイツ宇宙旅行協会の青年たちは、最初はヘルマン・オーベルトの指導のもとでロケット開発に情熱をそそぐ。そして、ナチス(→ ナチズム)が兵器としてのロケット開発にのりだしてからは、ウェルナー・フォン・ブラウンにひきいられて、北ドイツのバルト海に面したペーネミュンデにあったドイツ陸軍ロケット研究センターで史上初の近代ミサイルV-2号を完成した。42年のことである。V-2号自体は本格的なロケット兵器であったが、フォン・ブラウンの意識としては、あくまで宇宙飛行の手段であった。 第2次世界大戦後、V-2号の開発技術は、アメリカ、ソビエト連邦(ソ連:現、ロシア連邦)、ヨーロッパにわたり、宇宙飛行の歴史の屋台骨として活躍することになる。とくに、アメリカに移住したフォン・ブラウンたちペーネミュンデのチームは、1950年代にはじまった壮絶な米ソの宇宙開発競争において大きな役割をはたし、セルゲーイ・コロレフがひきいる旧ソ連の宇宙開発陣と死闘をくりひろげた。その主要な舞台が宇宙飛行であった。
「宇宙飛行」という概念は、文字どおり宇宙、つまり地球の大気圏外を飛ぶことであるが、この場合、無人であっても有人であってもかまわないということになる。ただし一般的には、人間が宇宙船にのって飛行するイメージが強いように思われる。無人の宇宙飛行についていえば、人類は20世紀に、太陽系の中ならば基本的にどこでも自在にいきつくことができる技術をものにしたといえるだろう。ここでは有人飛行を主題にとりあげる。
旧ソビエト連邦(ソ連)が1957年にスプートニクをうちあげたころ、アメリカは陸・海・空の3軍が独自の宇宙計画をもち、多くの矛盾をふくみながら進められていた。陸軍はフォン・ブラウンのチームが開発したレッドストーン・ロケットで人間を宇宙へ送ろうとし、海軍は円筒形の宇宙船をうちあげてから飛行機のような翼を宇宙でふくらませ、グライダーのように滑空して帰還させる計画だった。空軍は巨大なアトラス・ロケットの建造を進めながら、のちにダイナソアとよばれることになる軌道爆撃機を構想していた。こうしたさまざまな動きも、58年のNASA(アメリカ航空宇宙局)の発足によって一本化された。 NASAでは、ロケットの大型化、人間がのる円錐形(えんすいけい)カプセルの設計、そして飛行士たちの猛訓練がつみあげられていったが、1961年4月12日、旧ソ連はガガーリン宇宙飛行士をのせたウォストーク宇宙船をうちあげ、地球をひとまわりさせた。「地球は青かった」というガガーリンの言葉は世界じゅうをかけめぐった。ウォストーク宇宙船はこの後、チトフ、ニコラエフ、ポポビッチ、ブイコフスキーと宇宙飛行士たちを宇宙へはこび、63年6月には、女性初の宇宙飛行士テレシコワに70時間あまりの宇宙飛行をおこなわせて、プロジェクトをおえた。 ガガーリンにおくれること3週間の1961年5月5日、アメリカのアラン・シェパード飛行士が、レッドストーン・ロケットの先端に格納されたカプセル「フリーダム7」にのり、宇宙へ出発した。打ち上げの3分後、ブースターから分離し、手動での姿勢制御に成功、以後自動操縦に切りかえてパラシュートで海上へ落下した。→ マーキュリー計画
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