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Windows Live® の検索結果 1869~1954 フォービスムのリーダーとして名高いフランスの画家。20世紀を代表する芸術家のひとり。 1869年12月31日、北フランスのル・カトー・カンブレジの中流家庭に生まれた。はじめ法律をまなぶが、90年、盲腸炎の療養中に絵画に興味をもった。91年、パリにでてアカデミー・ジュリアンに入学、翌年エコール・デ・ボザールにうつって、ギュスターブ・モローのアトリエにはいる。アカデミーの保守的な画家たちの指導をうけたため、初期の絵は写実的だったし、過去の巨匠たちの作品を熱心に模写したりもした。 マティスが色彩だけで形や面を描写するという革命的スタイルに到達するきっかけは、ゴーギャンやセザンヌ、それにゴッホからの影響である。マティスは1899年から彼らの絵を研究しはじめ、ついで1903~04年にはシニャックらの点描主義を知ることになる。彼らは原色の小さな色面をびっしりとならべて、強い色彩がきらめくような効果をつくりだそうとしていたが、マティスはそれを模倣し、やがてしだいに作風をかえて大きな筆遣いへと転じていく。 そして1905年になって、妻をえがいた傑作「緑の線の肖像」をはじめとする作品で、かつてない大胆な色彩のイメージを提起した。この絵のタイトルは、マティス夫人の額から鼻、顎(あご)までを太くいろどる明るい緑色からきているのである。この年、マティスはこの作品を展覧会に出品し、仲間のドランやブラマンクらも似た傾向の絵を同じ展覧会にだした。その結果、彼らのグループには、フォーブ、つまり野獣という仇名(あだな)がつけられた。その極端な主情主義と粗野とも思える色使い、非写実的な形態描写のゆえにである。 急進派のリーダーとみなされる一方、美術批評家やコレクターたちから注目される存在となり、フランス在住のアメリカ人作家、ガートルード・スタインとその兄が有力コレクターのひとりになった。ロシアの有名コレクター、セルゲイ・シチューキンからも依頼をうけ、大作「ダンスⅡ」と「音楽」(いずれも1910)をえがいた。 マティスは知性豊かな画家だったが、制作するにあたっての心得として、直感の重要性を主張した。画家が色や形態をコントロールするのではなく、色や形、線みずからが画家の感性に命じてその配置をきめるのだというのである。彼の喜びは色や形態の遊びに身をゆだねることにあり、画面全体のハーモニーを完成させるという見地から、リズミカルで、写実から解き放たれた形姿をえがいたのである。 1920年代以降、マティスは1年の大半を南フランスのニースですごし、地元の風物を、明るい色をつかって軽いタッチでえがいた。また晩年には、カンヌに近いバンスのロゼール礼拝堂の装飾を依頼され、47年に着手して51年に完成させている。死の前の何年かは寝たきりに近い状態ながら、「切り絵」の制作にうちこみ、無造作にみえて、しかし衰えを知らぬ造形力を発揮した。 1954年11月3日、ニースで死去。コレクターや批評家、わかい芸術家たちに愛されつづけ、国際的な人気画家として生涯をおえた。
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