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Windows Live® の検索結果 イオニア海北東部にあるギリシャ領の島で、イオニア諸島の最北端にある。コルフ島ともいう。狭い海峡でギリシャ本土とアルバニアからへだてられている。パクシ島などの周辺の小島とともにケルキラ県をなす。島は南北に長く、北部には標高906mのパンドクラトル山をはじめとして山が多い。中部は丘陵、南部は低地で起伏が少ない。水源にめぐまれ、土地は肥沃(ひよく)である。オリーブ油、柑橘類(かんきつるい)、イチジク、ワイン、織物を産し、おとずれる観光客も多い。面積は641km²。人口は10万7592人(1991年)。最大都市は東岸にある港町ケルキラで、その旧市街は2007年に世界遺産に登録された。 ケルキラ島は古代にはケルキュラ島とよばれた。ホメロスの「オデュッセイア」でパイエケス人がすむスケリエ島とみなされていたこの島に前734年、コリントス人が植民した。ペルシャ戦争後、コリントスとの争いからケルキュラは前435年にアテネと同盟をむすぶにいたり、アテネがこの争いに介入したことに端を発してペロポネソス戦争がおこった。前229年、ローマの保護下に入る。その後ビザンティン帝国の領土となったが、1400年ごろからベネツィアが支配するようになり、コルフとよばれた。数度におよぶオスマン帝国の攻撃にもかかわらず、1797年までベネツィアの支配はつづいた。1815年、イギリスの保護領となり、64年にギリシャの一部となった。 第1次世界大戦中の1916年、劣勢にあるセルビア軍に避難所を提供するためにフランスが一時的に軍事占領した。ユーゴスラビアの連合をうたった「コルフ宣言」は、17年にこの島で署名されている。第2次世界大戦中にはドイツとイタリアの軍隊に占領されたが、44年10月にイギリスとギリシャの部隊が奪回した。
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