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項目構成
ニューヨーク、とりわけマンハッタンには有名な建築物が多く、摩天楼がそびえ、スカイラインをつくっている。クライスラー・ビル(1930年建造)、ウールワース・ビル(1915)、エンパイア・ステート・ビル(1931)、ロックフェラー・センターを構成するビル群(1931年着工)などがその代表である。かつてその中でも群をぬいて高くそびえていたのは世界貿易センターのツインタワー(1972~73年、ミノル・ヤマサキ設計)だったが、2001年9月の同時多発テロ事件で2棟(いずれも110階、高さ417m、415m)ともに炎上したすえ倒壊してしまった。古い建造物では、現在は市長公邸になっているグレイシー・マンション(18世紀後半)やシティ・ホール(1802~11)がある。聖パトリック大聖堂(1879)や聖ヨハネ教会大聖堂(1892年着工)、トリニティ教会(1846)などの著名な教会もある。 そのほか興味ある場所としては、リバティ島の自由の女神像(1886)、1892~1954年に合衆国への移民の玄関となっていたエリス島、グランド・セントラル駅(1913)、ミッドタウンのイースト河畔にたつ国連本部ビルなどがあげられる。プロ野球は、ブロンクス区にあるヤンキー・スタジアム(ニューヨーク・ヤンキースの本拠地)とクイーンズ区にあるシェイ・スタジアム(ニューヨーク・メッツの本拠地)でおこなわれる。有名なスポーツ施設ではほかに、バスケットボール(ニューヨーク・ニッカボッカーズ)やアイスホッケー(ニューヨーク・レインジャーズ)の試合がおこなわれるマンハッタンのマディソン・スクエア・ガーデンなどがある。
5区全域にわたって多数の高等教育機関がある。おもなものにコロンビア大学(1754年創立)、ニューヨーク大学(1831)、クーパーユニオン工芸大学(1859)、ニューヨーク市立大学(1847)、フォーダム大学(1841)、ロックフェラー記念大学(1901)などがある。 文化的にも合衆国の中心地であるニューヨークには、多数の博物館や美術館、舞台芸術の組織がある。マンハッタンには、巨大なメトロポリタン美術館(1880年設立)、近代美術館(1929)、フリック・コレクション(1935)、フランク・ロイド・ライトが設計したグッゲンハイム美術館(1959)とソーホー別館(1992)、ホイットニー美術館(1966)などがあり、ブルックリンのプロスペクト公園にはブルックリン博物館(1823)がある。 歴史・文化・特殊分野に関する博物館では、マンハッタンにヘイドン・プラネタリウム館(1935)の付属施設をもつアメリカ自然史博物館(1869)、ニューヨーク市博物館(1923)、国際写真センター(1974)、ユダヤ博物館(1904)、黒人芸術家の作品を展示するハーレム・スタジオ博物館(1967)、国立アメリカインディアン博物館(1922)などが、ブルックリンにはブルックリン子供博物館(1899)などがある。大規模な図書館としては、80以上の分館をもち約1000万冊の蔵書をほこるニューヨーク公共図書館、コロンビア大学図書館、希覯(きこう)本と原稿をあつめたピエールポント・モーガン図書館がある。 ニューヨークは合衆国における演劇上演のもっとも重要な拠点で、セントラル・パークの南にあるタイムズ・スクエアは、劇場街の中枢である。一帯にある30以上の劇場ではドラマ、コメディ、ミュージカルが上演され、ブロードウェーとして知られるアメリカ演劇界の心臓となっている。セントラル・パークの西南端に近いリンカン・センターは、メトロポリタン歌劇場、ニューヨーク・フィルハーモニー交響楽団の本拠地であるエーベリー・フィッシャー・ホール、ニューヨーク・シティ・バレエ団とニューヨーク・シティ・オペラが公演をおこなうニューヨーク州立劇場、ジュリアード音楽院などをふくむ、大規模な舞台芸術のためのビル群からなっている。
ニューヨーク湾沿いの地域には、何世紀にもわたって先住民であるアルゴンキンとイロコイ諸族がすんでいた。この地方をおとずれた最初のヨーロッパ人は、1524年に上陸したイタリア人航海士ジョバンニ・ダ・ベラツァーノ(ベラザノ)である。1609年にはオランダにやとわれて探検航海をしていたイギリス人ハドソンが、ハドソン川を踏査した。24年、オランダ西インド会社がニューネザーランド(新オランダ)植民地(のちのニューヨーク)を設立し、翌25年、ニューアムステルダムとよばれるオランダの交易所がマンハッタン島の南端にもうけられた。 17世紀中ごろにはマンハッタン島は植民がすすみ、ブロンクス、ブルックリン、クイーンズ、スターテン島にも定住がはじまった。1653年、オランダはこの植民地をイギリスとアメリカ先住民からまもるため、防壁をきずいた。この防壁(ウォール)はのちにウォール街といわれる地域をめぐっていた。64年、当時のオランダ総督はこの植民地をイギリスにあけわたし、数年後ふたたびオランダがとりもどしたが、74年のウェストミンスター条約によって最終的にイギリスに譲渡された。 このおりニューヨークと改名されたこの港をもつ新開地は、沿岸貿易や海洋貿易によって発展した。ニューヨークは1765年の印紙税法反対運動など、アメリカ独立革命にいたるさまざまな事件で重要な役割を演じ、ロングアイランドの戦(1776)のあとから独立革命が終結するまではイギリス軍に占領された。85~90年に連邦議会はこの市でひらかれており、89年にはワシントンが合衆国初代大統領として、ここで就任式をおこなった。 この地域は、1825年にエリー運河が完成すると飛躍的な発展をみた。ハドソン川とエリー湖をむすぶこの運河は、西部の巨大な市場を開放し、ニューヨークは商取り引き・金融・海上保険・製造の一大中心地になった。アイルランド人、ドイツ人、ユダヤ人、イタリア人などを主とする多数の移民が入国しはじめ、20~40年に市の人口は2倍以上になり、50年代にはふたたび倍増して51万5547人になった。 19世紀半ばから20世紀に入るころまで、市の政治はタマニー協会あるいはタマニー・ホールとして知られる民主党の機関にぎゅうじられ、この組織は政治家、警察官、判事、さらには州や地方の政治や新聞までも支配した。ウィリアム・マーシー・トゥイードのひきいる一団が崩壊したのは、彼らが横領罪で逮捕された71年である。19世紀末までには、南ヨーロッパや東ヨーロッパ、そして中国からの移民が殺到した。 市の発展は、橋の建設時代をむかえてさらに加速された。ブルックリン橋(1883年建造)をはじめとする橋の建設は、1898年における5区の合併の原動力になった。1904年には各区間の地下鉄網の建設がはじまった。第2次世界大戦中から戦後にかけて、おもに南部諸州から多数の黒人がニューヨークに移住してきた。50年代までには、プエルトリコをはじめとするカリブ海の各地とラテンアメリカからの移民が増加した。 ニューヨークは、1970年代半ばに慢性的な財政問題の改革にのりだした。行政サービスに対する支出の削減などによって、70年代末と80年代初めには財政状態はかなり改善されたが、その後もくりかえし財政危機にみまわれている。77年から市長の座にあったエドワード・コッチをやぶり、89年にニューヨーク初の黒人市長として当選したデイビッド・ディンキンズは、93年までその職をつとめた。
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