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花火の主成分である火薬の調合は、古代の中国からはじまったとされる。中国では6世紀ごろに、はじめて火薬が調合され、のろしや火矢にもちいていたといわれる。その技術がアラビアにつたわり、火矢は「中国の矢」とよばれた。宋代(960~1279)の中国では、火薬とともにさまざまな火器が考案され、つかわれていた。これらの技術がヨーロッパにつたわったのは、13世紀初頭のモンゴル帝国の進攻の際とされる。1258年に、ヨーロッパで火薬と火矢が使用されたという記録がのこっている。 その後、14世紀に銃が発明されると、火薬と花火の技術は軍事目的を中心に、ヨーロッパで発展する。軍事用の弾丸と火薬を製造したのは軍の熟練工たちで、彼らはのちに「火をつくる人」とよばれ、勝利や平和をいわう儀式用の花火の製造もまかされるようになった。さらにルネサンス期には、花火の製造技術をおしえる学校もイタリアとドイツに1校ずつ設立された。イタリアの学校は花火をつくる職人的な技術に重点をおき、ドイツでは科学的な技術の発展に力をいれていた。この2校が花火の発展に大きく寄与し、17世紀中ごろにはヨーロッパじゅうで、花火が娯楽のために使用されるようになり、保養地や公共の広場で人気を博したのである。19世紀中ごろには、花火はアメリカでもしたしまれるようになった。だが、花火による子供の事故が頻発したために花火の使用に制限がくわえられるようになった。その結果、アメリカの多くの州とカナダの一部では、法律によって花火の販売が規制されている。
日本に花火がつたえられたのは1543年(天文12)の鉄砲伝来のころとされ、1613年(慶長18)には、徳川家康が花火見物をしたといわれる。17世紀半ばには、花火師や花火売りがあらわれ、江戸の町でねずみ花火や線香花火を売りあるくようになった。江戸両国の花火大会は、飢饉(ききん)と疫病の流行で多数の犠牲者がでた慰霊祭として、1733年(享保18)に隅田川の川開きにあわせておこなわれたのが最初である。花火大会では華やかな打ち上げ花火が人気をあつめ、江戸花火師の双璧とされた「鍵屋」と「玉屋」は花火の褒め言葉にもなった。以降、何度か中断はされたものの1978年(昭和53)に再開され、現在にいたっている。 日本の花火技術は世界有数で、毎年7月におこなわれる東京都の隅田川花火大会、8月の秋田県大仙市の大曲全国花火競技大会や、新潟県長岡市の長岡まつり大花火大会、10月の茨城県土浦市の土浦全国花火競技大会など、全国各地で盛んに花火競技会や大会がおこなわれている。
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