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2002年10月の総選挙では、世代交代と減税をうったえたレプシェ元中央銀行総裁がひきいる中道右派「新時代」が勝利し、「ラトビアの道」は議席を獲得できなかった。その結果、「新時代」を中心に4党の連立政権が発足した。03年6月の国会による大統領選出では、ビケフレイベルガが再選された。 NATOは、2002年11月にバルト三国など中・東欧7カ国の新規加盟を決定、EUも、同年12月にバルト三国など10カ国の加盟を決定した。EU加盟の是非を問うラトビアの国民投票は03年9月に実施され、67%の賛成で承認された。そして、04年3月にNATO、5月にEUへの正式加盟が実現した。 一方、内政では、2004年1月末に「ラトビア第1党」が連立政権から離脱し、レプシェ内閣が総辞職した。つづくエムシス内閣が短命におわったあと、12月に国民党のカルビティスを首相とする4党連立内閣が発足。好景気を背景におこなわれた06年10月の総選挙では、4月に政権を離脱した「新時代」をのぞく連立与党3党(国民党、緑と農民連合、「ラトビア第1党」)が議席をのばして過半数を獲得し、カルビティスは、11月に「祖国と自由」をくわえた4党連立による中道右派の第2次政権を発足させた。07年5月、ビケフレイベルガの任期満了にともなう大統領選挙では、医師のザトレルスが選出され、7月に大統領に就任した。 2007年3月、カルビティスはモスクワで、ラトビアとロシアの国境を画定する条約に調印した。ラトビアは独立後、1940年にソ連に併合されてその構成共和国となった際にソ連に割譲した土地(現ロシア連邦プスコフ州の一部)の返還をロシアに要求していたが、ロシアとの関係正常化をもとめるEUにうながされ、ラトビア側が領土要求をとりさげて旧ソ連時代の境界をみとめることで調印にいたった。
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