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パナマ(国)

パナマ Panama
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ノリエガ政権とその後

1978年、トリホス将軍は政府主席の地位をおりた。新たに大統領に就任したアリスティデス・ロヨは82年7月に辞任においこまれ、事実上、軍部が一時事態を掌握したのち、84年5月バルレッタが大統領にえらばれた。85年、バルレッタは辞任し、かわってエリク・アルトゥロ・デルバジェが大統領となり憲法改正をおこなったが、依然としてノリエガ将軍のひきいる軍部が強大な権力をにぎっていた。

1988年2月、アメリカ連邦大陪審は、麻薬密売の容疑でノリエガ将軍を起訴するが、ノリエガは権力を保持しつづけたため、アメリカはノリエガ政権打倒をめざして、経済的・政治的圧力をくわえた。89年5月、アメリカの選挙監視団が野党指導者エンダラの大統領当選を報告すると、ノリエガ政権は選挙結果を無効とした。

1989年10月、ノリエガは軍内のクーデタを鎮圧するが、2カ月後、アメリカ兵2万4000人がパナマに侵攻し、エンダラを大統領に就任させた。90年1月、ノリエガはとらえられて身柄をアメリカにおくられ、92年4月、フロリダ州マイアミで麻薬密売と脅迫の容疑により有罪判決をうけた。アメリカは、侵攻とそれ以前の経済制裁による損害の賠償としてパナマに10億ドルの支払いを約束した。

しかしエンダラ政権下、パナマ国内ではクーデタ未遂事件が多発するとともに、経済の低迷状態がつづき、コカインの密売も盛んになる一方だった。1992年11月の国民投票では、エンダラ政権の推進する、軍隊廃止などをもりこんだ一連の憲法改正案が拒否された。

1992年10月、パナマは中米共同市場(CACM)に参加した。94年の大統領選挙では民主革命党(PRD)のペレス・バジャダレスが勝利をおさめ、翌95年、パナマは周辺諸国との経済統合をめざして、ラテンアメリカ12カ国およびカリブ共同体・共同市場(CARICOM)加盟国と共同で、カリブ諸国連合(ACS)を結成した。また、94年10月に国会は軍隊の廃止を可決している。97年9月、アメリカ軍の南方軍司令部の閉鎖式がおこなわれ、99年11月までにアメリカ軍の撤退が完了、独立以来96年間の駐留はおわった。新運河条約にもとづく運河地帯の返還式典も年末におこなわれた。なお、この年の9月には故アリアス大統領夫人でアルヌルフィスタ党(PA)のミレヤ・モスコソが新大統領に就任、パナマ史上はじめての女性大統領が誕生した。

モスコソ政権は、アメリカとの友好関係維持を基調にしつつ、運河地帯にある港湾施設の改善や観光、海外投資の誘致などに力をいれた。アメリカが提唱する米州自由貿易地域(FTAA)構想にも積極的で、2001年には暫定事務局をパナマ市においた。03年1月と8月にはエルサルバドルおよび台湾と自由貿易協定(FTA)をむすんでいる。しかしモスコソ政権下では、米軍撤退にともなう経済的な影響や、01年9月のアメリカ同時多発テロの影響もあって、経済は失速ぎみで成長率は低下、失業率も増加した。

2004年5月、モスコソ大統領の任期満了にともなう大統領選挙があり、親米派で民主革命党のマルティン・トリホスが勝利した。トリホス新大統領は、新運河条約によってパナマ運河返還の道筋をつけたオマール・トリホス将軍の息子である。9月に就任したトリホス大統領は、失業率の改善や海外投資の積極的な誘致などにとりくむ姿勢をみせた。また、手狭になったパナマ運河の拡張に関しても積極的で、06年にパナマ運河拡張計画の国民投票をおこなって承認され、翌07年9月に拡張のための起工式をおこなった。トリホス大統領就任後のパナマ経済は全般的に好調を維持した。

2009年5月、トリホス大統領の任期満了にともなう大統領選挙があり、中道右派の野党、民主改革党(CD)党首で元パナマ運河担当相のリカルド・マルティネリが当選した。

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