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1980年代には、61年結成のサンディニスタ民族解放戦線(FSLN)が政権を担当。84年の選挙に参加したのは、そのほとんどがFSLNと友好関係をもつ勢力で、野党勢力のいくつかは選挙そのものをボイコットした。 1996年の選挙では野党国民連合(UNO)が勝利し、2001年の選挙では政党の再編がすすみ、第1党の立憲自由党(PLC)と第2党のFSLNがほぼ議席をわけあった。
2004年の兵力は、陸軍1万2000人、海軍800人、空軍1200人である。90年の選挙に勝利して発足した反サンディニスタ政府は、ゲリラ組織の解体をすすめるとともに、国軍の規模も削減している。それにともない徴兵制も廃止された。
1502年、コロンブスがニカラグアの東海岸を視認しているが、最初に上陸したスペイン探検隊は、22年のゴンサレス・ダビラ一行だった。ゴンサレス・ダビラの一行はいくつかの入植地を建設した。その後おとずれた征服者フェルナンデス・デ・コルドバが23年にグラナダを、24年にレオンを建設している。
1526~31年は、ペドロ・アリアス・ダビラがニカラグアを統治した。その後、スペイン人征服者間のはげしい対立と戦闘をへて、16世紀中にグアテマラ総監領に併合された。植民地時代のニカラグアは、比較的平穏で、ある程度の繁栄をみせたが、イギリス人のドレークやホーキンズに代表される海賊が幾度となく沿岸地方を襲撃、略奪した。 18世紀になるとイギリス人は、アメリカ先住民と黒人との混血ミスキート族と非公式な同盟関係をむすび、スペイン人の支配に挑戦した。18世紀半ばから後半にかけて、モスキトス海岸がイギリス領とみなされた時期もあった。しかし、アメリカ独立革命(1775~83)がおこると、ニカラグアに恒久的地歩をかためようとしたイギリスの思惑はきえさった。
19世紀になると、独立の気運が高まり、1821年スペインからの独立を宣言した。翌年にイトゥルビデのメキシコ帝国の一部となるが、23年、イトゥルビデの失脚とともに、中央アメリカ連邦にくわわった。 ニカラグア政治の最大の特徴は、レオンを拠点とする自由派とグラナダを拠点とする保守派の間の対立・抗争にある。単独国家をめざした自由派は、中央アメリカ連邦が崩壊した1838年、ニカラグア共和国の樹立を宣言した。その後も内紛はやまず、少数の部下とともにやってきたアメリカ人山師ウォーカーが、55年、自由派勢力の要請をうけてその首領となった。同年、ウォーカーはグラナダを占領し、略奪行為におよび、さらに56年にはニカラグアの大統領に就任した。 ウォーカーは、同じアメリカ人の実業家コーネリアス・バンダービルトの輸送会社が所有する資産を接収したことで、バンダービルトの恨みを買った。バンダービルトは、ウォーカーと対立する保守派に肩入れし、1857年、ウォーカーはイギリスの援助をうけた中央アメリカ連合軍によりニカラグアから追放された。以後57~93年の長期にわたって保守派政権がつづいた。
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