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韓国では、プロ野球が生まれる前から野球が盛んで、1963年(昭和38年)に東映フライヤーズ(現、北海道日本ハム)に入団し、75年には首位打者にもなった白仁天のように、韓国のアマチュア野球での実績がみとめられ、日本で活躍する選手もいた。 プロ野球は1981年に6チームでスタート。ドラフト1位指名選手は地元出身者にかぎるなど、きびしいフランチャイズ制度によって郷土意識をもりあげ、発足当初から人気をあつめた。2008年現在は、キア(起亜)、LG、SK、サムスン(三星)、トゥサン(斗山)、ハンファ(韓火)、ロッテ、ヒーローズの8チームが1シーズン制でたたかっている。年間126試合を消化した後、3、4位のチームで準プレーオフ(5回戦制)をおこない、その勝者が2位とプレーオフ(7回戦制)で対戦、そしてその勝者と1位チームが韓国シリーズ(7回戦制)をたたかって優勝チームを決定する仕組みになっている。 当初は外国人選手の加入は禁止されていたが、在日韓国人など韓国系選手については1球団3人までみとめられていたため、日本から巨人の新浦寿夫、広島カープの福士敬章などが移籍した。ちなみに新浦は3年間で54勝20敗3セーブの成績をのこしており、福士も移籍1年目に30勝をあげ最多勝を獲得した。 日本との間では、1983年に日韓間選手契約に関する協定をむすび、たがいに相手国の選手保有権を侵害しないことを約束している。このため、韓国にプロ野球が生まれてから日本で活躍する韓国人選手はなかなかあらわれなかったが、96年(平成8年)、高麗大学の趙成珉(チョ・ソンミン)が巨人と契約したのを皮切りに、中日ドラゴンズにも韓国ナンバーワン投手の宣銅烈(ソン・ドンヨル)が入団、97年には38セーブをあげる活躍をした。98年には同じ中日に「韓国のイチロー」といわれた李鐘範(イ・ジョンボム)が入団した。しかし、日韓間の協定にあいまいな部分が多く、明確なルールづくりが今後の課題になっている。一方、朴贊浩(パク・チャンホ)のように日本ではなく、また日本のプロ野球をへることなく直接大リーグで活躍する選手もいる。
台湾では日本の影響で戦前から野球が普及していた。戦後はリトルリーグの世界選手権、オリンピックなどで好成績をあげて、実力は世界的なレベルにある。日本のプロ野球界でも、郭源治(中日)、郭泰源(西武)、呂明賜(巨人)、大豊泰昭(中日、阪神、中日)などがチームの主力として活躍した。 台湾のプロ野球は、1990年に中華職業棒球連盟が創立され、4チーム、2シーズン制でスタート、93年に2チーム、97年にはさらに1チームがくわわり、所属球団は7チームになった。同年には台湾職棒大連盟(4球団)が発足して2リーグ制となり、郭源治や呂明賜も日本からもどってプレーした。しかし、96年、野球賭博にからむ八百長事件が発覚し、逮捕者が大量に出た中華連盟の1チームが解散。この事件以後、観客動員数は減少し、プロ野球の人気は低迷。その後両連盟ともに4球団となり、試合数も年々減少、2003年には両連盟が合併して中華職業棒球大連盟が誕生した。 2008年の所属チームは興農牛、中信鯨、La New熊、兄弟象、統一獅、米迪亜(メディア)暴龍の6球団で、前期、後期それぞれ50試合、計100試合がおこなわれ、プレーオフをへて7回戦制のチャンピオン・シリーズがたたかわれた。しかし08年秋、暴力団の野球賭博組織とくんで八百長試合をおこなった不祥事によって米迪亜が解散においこまれ、中信も観客減による経営不振で撤退したため、09年は4チームで運営するというきびしい状況になった。
アメリカの影響で、カリブ海沿岸諸国では野球が盛んである。キューバは1992、96年にオリンピック連覇をはたすなど、アマチュアでは実力世界一だが、亡命して大リーグ入りする選手が跡をたたない。また、ドミニカ共和国では30年代からプロリーグがはじまり、大リーグに入る選手も多く、若手の教育リーグや野球アカデミーには日本から広島東洋カープが参加している。このほか日本の影響をうけたブラジル、阪神の吉田義男監督が指導したフランスなどにも野球は広がっている。
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