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1867~1959 20世紀のアメリカを代表する建築家。来日して、ホテル、邸宅、学校などをたて、日本の近代建築にも大きな影響をあたえた。 1867年6月8日、ウィスコンシン州のリッチランドセンターに生まれる。84年にウィスコンシン大学に入学したときに、はやくも建築への関心ははっきりと芽生えていた。しかし大学に建築科がなかったために土木工学科に籍をおき、大学内の建設作業のアルバイトで経験をつんだ。87年大学を中退してシカゴにいき、アドラーとサリバンの建築事務所の設計技士となる。この会社を経営していたサリバンは、ライトの仕事に深い影響をおよぼした。93年に独立して、シカゴに自分の事務所を開設した。
ライトは、建造物は周囲の自然環境と一体化すべきだという「有機的建築」を主張した。当初から公私いずれの建築設計にも大胆な独創性をみせ、保守的な建築家にこのまれた装飾過剰な新古典主義やビクトリア様式には目もむけなかった。 既成の様式を機械的にもちいることはきらい、建築の形態は、建造物の機能、環境、建築の素材などに応じて最終的にきめるべきだとした。さまざまな建築用材を建造物の構造や素材そのものの色彩や質感に応じてつかっている。部屋から部屋への展開を開放的に設計して、建造物の内部は広々とした感じを生みだしている。この考え方は、初期に設計した「草原住宅」とよばれる個人邸宅にはっきりとあらわれている。代表作にニューヨーク州バッファローのマーティン邸(1904)、イリノイ州リバーサイドのクーンレイ邸(1908)、シカゴのロビー邸(1909)などがある。
ライトは、鉄筋で強化されたプレキャスト・コンクリート・ブロックの使用など新技法を数多く開発した。空調、間接照明、パネル・ヒーティングなどの導入もしている。1904年に設計したバッファローのラーキン・ビルは、空調、二重ガラス窓、全面ガラス扉、金属家具をもちいた最初のオフィス・ビルである。 耐震性を重視した東京の帝国ホテル(現在は一部が愛知県の明治村に移築保存)の設計は工学的にもすぐれた偉業とされている。必要な柔軟性をえるために、やわらかい土をしいた上に浮動性のある土台をきずき、カンティレバー(片持ち梁)工法をもちいた。1923年に完成した建物は、同年おきた関東大震災でもほとんど損傷が生じなかった。 保守的な建築家たちは、ライトの伝統的でない方法に反対しつづけた。ライトは個人的な不幸や同業者からの反目にもなやまされ、1909年から1年間ヨーロッパにのがれた。帰米すると、ウィスコンシン州スプリング・グリーンに、6世紀のウェールズの吟遊詩人の名からとった住居兼工房「タリアセン」を建設して、ここで幅ひろい活動をはじめた。 後期の作品には、カリフォルニア州パサディナのミラード邸(1923)、ペンシルベニア州ベア・ランのカウフマン邸、通称「落水荘」(1936)、ウィスコンシン州ラシーンのジョンソン・ワックス社(1939)、同州マディソンのファースト・ユニテリアン教会(1947)、サンフランシスコのモリス商店(1950)、オクラホマ州バートルズビルの高層ビル「プライス・タワー」(1953)などがある。1959年にはニューヨークにグッゲンハイム美術館を完成させた。
ライトは、著述、講演、教育にも多くの時間をさいた。1908年までに、今日では近代建築の基礎概念となっている原理のほとんどを考えだしていた。折衷主義に対する青年期の攻撃的姿勢は、アカデミズム信奉者の敵意をかったが、当時の欧米の建築の発展に深い影響をあたえた。 1938年に建造開始したアリゾナ州スコッツデールの別荘タリアセン・ウェストには、弟子たちの本格的な工房をひらき、財政確保のために建築学校タリアセン・フェローシップを設立している。 著書には「自伝」(1932)、「有機的建築」(1939)、「天才と衆愚政治」(1949)、「ナチュラル・ハウス」(1954)などがある。1959年4月9日アリゾナ州フェニックスで没した。
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