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江戸時代に生まれ、現在もなお興行されている日本の伝統芸能。江戸時代には「歌舞妓」と書かれることが多く、「歌舞伎」の表記が定着したのは明治以降のことである。語源は、常軌を逸脱した行為をするという意味の動詞「傾(かぶ)く」の連用形が名詞化したもの。漢字表記は当て字だが、「歌」は音楽性、「舞」は舞踊性、「伎」は演技的要素と、独特の様式をもつ歌舞伎の特性をみごとに言いえている。 2005年(平成17年)11月、UNESCO(ユネスコ)の「人類の口承および無形遺産の傑作」(→ 世界遺産)のひとつに指定された。
1603年(慶長8年)出雲大社の巫女と称する出雲阿国が男装し、当時流行したかぶき者のなりで茶屋の遊女とたわむれるようすを京都で演じた。これが人気をあつめて「歌舞伎踊」とよばれ、歌舞伎の始祖になったといわれる。
この人気にあやかり、遊女が歌舞伎踊をショーとしてみせたのが女歌舞伎である。はじめは笛、小鼓、大鼓、太鼓の四拍子(しびょうし)を伴奏としていたが、渡来した三線(さんしん)を改良した三味線をいちはやくとりいれたこともあって、全国的に流行をみた。 しかし風紀をみだすとの理由で1629年(寛永6年)幕府によって禁止され、次に若衆(わかしゅ)歌舞伎が脚光をあびる。これは前髪の美少年がなまめかしい踊りや寸劇、軽業的な芸をみせたものだったが、衆道(しゅどう)の売春が横行したことから、52年(承応元年)にやはり禁止された。 その翌年の1653年、前髪をそりおとして野郎頭(やろうあたま)の成人男子のみで上演すること、ドラマ性を重視して「物真似狂言尽(ものまねきょうげんづくし)」を上演することの2点を条件に、幕府は歌舞伎の興行をふたたび許可した。これが野郎歌舞伎とよばれるもので、女の役を演じる男優として、女方という職掌が生まれることになった。また、当初は一幕ごとの放れ狂言だったが、複雑な筋立てをもつ多幕物の続き狂言が明暦・万治年間(1655~61年)に成立し、場面を時間や空間で区切る必要から引幕がつかわれはじめた。
元禄期(1688~1704年)には、さまざまな庶民文化が花開く中で、歌舞伎もその一翼をになった(→ 元禄文化)。武士中心の新興都市江戸では、初代市川団十郎が豪快な荒事(あらごと)を演じ、超人的な力をもつ若者が悪を退治する荒唐無稽(むけい)な物語が人気を博した。 京では初代坂田藤十郎らが、初期歌舞伎の傾城(けいせい)買いの流れをくむ和事(わごと)を確立。また、芳沢あやめらによって女方の芸が完成をみた。敵役(かたきやく)、道外(どうけ)方などの役柄も生まれ、富永平兵衛、近松門左衛門らは作者名を明示して、狂言作者の職掌を確立した。
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