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    1684~1721 ロココ時代を代表するフランスの画家。1684年10月10日、フランス領となって6年目のフランドルの町バランシェンヌに生まれる。14歳のとき同地の宗教画家のもとでまなびはじめる。1702年にパリへでて、安価な礼拝用の絵をあつかう美術商のために絵を ...

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ワトー,J.A.

ワトー Jean Antoine Watteau
百科事典項目

1684~1721 ロココ時代を代表するフランスの画家。1684年10月10日、フランス領となって6年目のフランドルの町バランシェンヌに生まれる。14歳のとき同地の宗教画家のもとでまなびはじめる。1702年にパリへでて、安価な礼拝用の絵をあつかう美術商のために絵をえがいて生計をたてる。ついで版画と舞台美術の作家ジローにまなび、イタリアのコメディア・デラルテの登場人物への興味をうけついだ。

1708年ごろ、リュクサンブール宮殿の美術コレクションの管理をまかされていた装飾画家クロード・オードラン3世のもとで働きはじめ、同宮殿でバロック絵画の巨匠ルーベンスの大きな連作をまなぶ機会をえた。09年にはアカデミーのローマ賞コンクールで2席を獲得し、重要な注文を数多くうけるようになる。12年にアカデミーの準会員、17年には正会員にえらばれる。

ワトーの作品には、ルーベンスをはじめとするフランドルの巨匠たちとベネツィア派絵画の影響がみられる。しかし、光と色彩のすぐれた感覚と、天性の繊細な感受性および抒情(じょじょう)的優美さに独自の様式があらわれている。ロココの画家たちは彼の様式を模倣したが、その夢幻的な特質まで獲得できた者はいない。ワトーに対する評価は、新古典主義の台頭とともにさがったものの、フランス革命以後、とくにロマン主義時代にはふたたび上昇した。

ワトーがこのんだ主題のひとつは「フェート・ギャラント」(雅宴画)で、優雅な宮廷貴族の男女が戸外につどい、木立や植え込みを背景に戯れに時をついやしているものである。「シテール島の巡礼」(1717)はこの分野の傑作。道化などコメディア・デラルテの登場人物もこのんで主題にとりあげ、「イタリアの喜劇役者たち」(1720?)などがその例である。友人の画商の店の看板「ジェルサンの看板」(1720)は、写実的な風俗画の傑作で、その色彩の処理は19世紀の印象派(印象主義)に影響をあたえた。

体が弱く病気がちで最後は結核にたおれ、1721年7月18日、ノジャン・シュル・マルヌで没した。

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