検索
エンカルタ内で検索 : ライン川

Windows Live® の検索結果

  • ライン川 - Wikipedia

    ライン川 (ドイツ語: Rhein 、フランス語: Rhin 、イタリア語: Reno 、オランダ語: Rijn 、英語: Rhine )は、 ヨーロッパ を流れる 川 である。

  • ローレライ伝説 - Wikipedia

    ローレライ (Loreley)は、 ライン川 流域の町ザンクト・ゴアルスハウゼン近くにある、水面から130mほど突き出た岩山のことであり、 スイス と 北海 をつなぐこの河川でも一番狭いところにある。

  • ライン川

    ライン川は、スイスに源を発し北海に注ぐ、全長1,320キロメートル(日本最長の信濃川の約3.6倍)の大河です. 山から急流となってすぐに海に注ぎ込む日本の河川と違い、時間をかけてゆっくりと流れる大陸の河川は、長時間、陸地と接触するため ...

すべての検索結果 :
Windows Live® の検索結果

ライン川

ライン川 ラインがわ Rhein
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

スイス東部に源を発し、ヨーロッパ中部をほぼ北西方向にながれて北海にそそぐ川。ドナウ川とならぶヨーロッパの大河で、スイス、リヒテンシュタイン、オーストリア、フランス、ドイツ、オランダなどの国内や国境をながれる。全長は1320km、流域面積は22万150km²におよぶ。

おもな支流としては、アーレ川ネッカー川マイン川、ラーン川、モーゼル川ルール川、リッペ川がある。ライン川を利用して輸送される貨物の量と乗客数は膨大なもので、世界でもっとも重要な商業的内陸水路のひとつにかぞえられている。ローマ時代から現代にいたるまで、ヨーロッパの歴史・文化・経済に大きな影響をあたえてきた川でもある。

II

流路

ライン川は深い峡谷をながれるアルプスの激流から生まれる。最上流部のスイス・アルプスの高地では、フォルダーライン川とヒンターライン川とにわかれているが、この2つの流れはスイス東部のクールの近くで合流する。雪と氷河の水をあつめてながれるため、水量は春と夏に最大になる。川の流れはボーデン湖を通過するとき穏やかになるが、西にむかってバーゼルまでは急流である。ボーデン湖の西、シャフハウゼンの近くには、幅185m、落差23mの壮大なライン滝がある。

バーゼルで北に方向を転じたライン川は、オーバーライン地溝をながれる。西のボージュ山地と東のシュバルツバルトにはさまれたこの地溝の谷底は平坦で、最北端に位置するフランスのストラスブールで、ライン川はパリ盆地に通じる運河と合流している。

ライン川はドイツのマインツマイン川と合流する。ここから下流では、季節により水量が変化することはあまりなくなる。ビンゲンからボンの少し南まで、両側が急斜面となっているライン峡谷をながれる。この峡谷は絵のようにうつくしく、しばしば歴史やロマンの舞台となり、「ロマンチック・ライン」ともよばれる。その急斜面にはブドウの段々畑があり、絶壁の上には古城が遠望できる。ザンクト・ゴアールの近くには有名なローレライがある。ドイツの詩人ハイネに詩想をあたえた巨大な岩ローレライのあたりでライン川は川幅約146m、水深23mである。

ボンの下流で、ライン川はドイツのノルトラインウェストファーレン州を横切る。この州の人口は約1700万人、ドイツの工業生産高の約3分の1がここで生みだされている。この地域のライン川沿いの主要都市としては、ケルンデュッセルドルフ、そしてルール川との合流部にあたるデュースブルクがある。ルール川にそったライン右岸地域は、世界でもっとも産業活動が集中した地域のひとつである。ルール

オランダ国境では、ライン川の川幅は約650mとなる。この地点から、ライン川はレク川とワール川という2つの平行した流れにわかれる。その流れは広大で沼沢地の多い平野を横切り、北海にむかって巨大な三角州をかたちづくっている。1986年に完成したデルタ計画で、2つの主要な水路はせきとめられ、川の水を流出させるための水門とかわりの水路が建設された。ライン川と北海をむすぶ主要な連絡路は1872年に建設された新水路で、これによってロッテルダムはヨーロッパ随一の重要な港になった。ライン川河口部の三角州地域は、多くの場所が海面と同じ高さか、海面よりも低くなっている。しかし堤防の建設によって、この地域はヨーロッパでもっとも人口が集中した、そしてもっとも重要な経済地域のひとつとなっている。

III

船舶の航行と商業

ライン川は河口からバーゼルまで約800kmにわたって船舶の航行が可能である。また、セーヌ川エルベ川エムス川ローヌ川、ソーヌ川などと運河によって連絡している。1992年には、ドナウ川とライン川をむすぶ運河も完成した。そのためマイン川を経由して北海と黒海との間で船舶による航行が可能になった。ライン川流域は、鉱物資源が豊かで、工業や農業が盛んであることでも知られる。1868年以降、マンハイム協定によって、ライン川では国際的な船舶交通がおこなわれている。今では最新の技術によって、船舶はライン川を1日24時間、いつでも航行することができる。また、石炭、鉄鉱石、穀物、石油、鉄鋼、材木などの重い貨物の輸送も可能になっている。

しかし、ライン川流域の工業と商業の繁栄は切実な問題もひきおこした。1976年には、川の汚染が深刻化し、その浄化を目的としてオランダ、フランス、ルクセンブルク、スイス、西ドイツの間で条約がむすばれた。条約が厳密にまもられたというわけではなかったが、それでもライン川はしだいに浄化された。しかし86年に、バーゼルの化学プラントから大量の化学物質が流出するという事故がおこったため、10年間の努力も無に帰してしまった。水銀や殺菌剤をふくむ30t近くの有毒な化学物質が川に流入した。原子力関係の事故を別にすれば、この流出事故は76年以降のヨーロッパにおける10年間で最大の災害であった。50万匹の魚が死に、西ドイツ、フランス、オランダでは水道がつかえなくなった。

1990年代中ごろ、ライン川では、さらに大きな災害があった。記録的な大洪水が2度もおこり、流域が水浸しになってしまったのである。93年12月の洪水では、船舶の航行が停止し、6万人が避難した。10人が死亡して、約10億ドルの損害が生じた。95年1月末の洪水では、オランダでは25万人以上が家をすてて避難しなければならなかった。ドイツのケルンでは、川の水位が10mも上昇して、この2世紀以上にわたる記録の中でも最高の水位となった。ライン川の大部分で、船舶の航行が停止し、その期間は1週間以上におよんだ。損害は約20億ドルをこえたものとみられる。公的な機関や科学者は、この洪水は森林の乱伐、商業目的のためのライン川の整備、それに温室効果などの人的要素の結果であると推測している。

項目内で検索
項目全体を印刷
項目の URL をメールで送る




© 2008 Microsoft