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数学

数学 すうがく Mathematics
百科事典項目
項目構成
III

中世とルネサンスの数学

プトレマイオス時代のあと、近代のはじまるまでの何世紀にもわたって、ギリシャ数学の偉大な成果と伝統はイスラム世界にひきつがれ、独自の発展もくわわることになった。

1

イスラムの数学

アラビア半島におこり、スペインから中国国境にいたる大国家をつくったイスラム教徒は、外国科学の成果の習得につとめた。カリフの奨励もあって、バグダットなどでは、古代ギリシャやインドの数学の著作がアラビア語に翻訳された。インドでは、すでにゼロの概念が発見され、位取り記数法や記号による代数が発展していた(記数法)。

900年ごろまでには、外国科学の継承もおわり、そこからイスラム独自の科学が生まれはじめた。彼らは、インドの10進記数法を小数にまで拡張した。12世紀ペルシャの詩人オマル・ハイヤームは数学者でもあり、平方根や立方根をもとめるインドの方法を改良して、4乗根、5乗根など一般のべき乗根をもとめた。代数では、フワーリズミーが1次方程式や2次方程式などの解法に関する研究をしたが、彼の名は算法を意味する語アルゴリズムの語源でもあり、代数を意味するalgebraの語源は彼の著書名に由来する。アル・カラジがさらに一般の多項式をあつかうなど、代数はひじょうに進歩した。幾何では、アルキメデスの面積や体積の研究を継承したものや、円錐曲線の理論をつかって光学の問題を解いた成果などがある。三角法では、インドの正弦関数と古代ギリシャのメネラオスの定理をつかって、平面三角法と球面三角法の表も作成されたが、15世紀ドイツの天文学者レギオモンタヌスの本がでるまでヨーロッパではつかわれなかった。

イスラムの数学者たちは、数論においても重要な発見をし、代数方程式を数値的に解く方法もいろいろ研究した。ギリシャ古典のアラビア語訳とイスラムでの成果が12世紀につたえられたヨーロッパでは、中世後期に数学の発展がもたらされた。フィボナッチやパチョーリなどイタリアの数学者が書いた代数や算術の書物は、イスラム数学の影響を大きくうけていた。

2

西洋ルネサンスの数学

中世末期には、14世紀にニコル・オレームがam/nという分数指数にあたるものを考えて「比の理論」を無理数にまで拡張したり、15世紀にニコラウス・クサヌスが無限について考えるなど、数学思想の深まりはあったが、ヨーロッパでの数学的に重要な発見は16世紀になってからであった。3次と4次の代数方程式の解の公式は、イタリアの数学者カルダーノが1545年に発表した本「アルス・マグナ(大技法)」に書かれている。この公式の発見から、複素数の研究や5次以上の代数方程式の解の研究がはじまり、群論()のもとになる18世紀末の研究や、19世紀のフランスの数学者ガロアの理論へとすすんでいった。16世紀末にフランスの数学者ビエートは、未知数だけでなく係数も文字であらわして4次までの代数方程式の解法を一般的に表現し、記号代数の方法の始まりとなった。代数計算による彼の方法は、フランスのフェルマーやイギリスのニュートンなど、その後の数学者に大きな影響をあたえた。

IV

16世紀以降の数学

ルネサンス以後、数学の発展をみたのは、おもにヨーロッパであった。

1

17世紀の数学

17世紀には、アルキメデスやアポロニオスらが活躍した古代ギリシャ黄金期以来の、数学的に大きな発展があった。ネーピア対数を発明して天文学の計算につかった。対数関数は、現在でも数学や科学で重要なものであるが、対数表や対数の性質を利用した計算器である計算尺は、コンピューターの発達とともにあまりつかわれなくなった。

数論においては、古代ギリシャのディオファントスの著作「アリスメティカ(数論)」がフェルマーに大きな影響をあたえ、数論に代数的方法がもちいられて発展した。「nを2より大きな整数とするとき、式 an + bn = cnをみたす正の整数a, b, cはない」というフェルマーの最終定理は、長い間数論の未解決問題として研究され、代数学や数論における多くの重要な研究結果を生みだしたが、フェルマーから約350年後の1994年になって、ようやくアメリカ・プリンストン大学のワイルズによって完全に証明された。

幾何学でも、この世紀にいちじるしい発展があった。1637年に「方法序説および試論集」をあらわしたデカルトは、解析幾何学を生みだし、ルネサンス以来発展した代数的方法をもちいて曲線について研究した。これはニュートンの業績の基礎になるなど、のちの数学に大きな影響をあたえた。デザルグは、39年に射影幾何学を考案した。射影幾何学は、デカルトやパスカルの評価はうけたが、解析幾何学にくらべて発展はおくれ、19世紀初めポンスレの仕事のあと大きく発展した。

17世紀に数学が切りひらいた重要な分野として、確率の理論がある。賭けの問題を論じたパスカルとフェルマーとの往復書簡は、確率論の研究の始まりとされる。これに刺激されてオランダの物理学者ホイヘンスは、サイコロ遊びでの確率について論文を書いた。18世紀にはいって、スイスのヤコブ・ベルヌーイの「推論術」やフランスのド・モアブルの「偶然論」では微積分がつかわれ、いっそう確率論を発展させた。

17世紀最大の功績は、1660年代のニュートンによる微分法と積分法の発見である(微積分)。フランスのデカルト、イタリアのカバリエや、イギリスのウォリス、バーロウなどの研究をもとに、ニュートンは微積分法を完成していたが、発表されたのは死後であった。ドイツのライプニッツは、ニュートンより少しおくれてはいたが、独立に微積分法を発見して1684年に発表した。ライプニッツによる、微分の記号dxや積分の記号 ∫ などのすぐれた記法は、現在でももちいられている。

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