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    数学 (すうがく、 ギリシア語 : μαθηματικά, 英語 : mathematics )は、 量 、 構造 、 変化 、 空間 といったものを対象として、いくつかの仮定から始めて、決められた 演繹 的推論をすすめることで得られる事実( 定理 )のみからなる体系を 研究 する ...

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数学

数学 すうがく Mathematics
百科事典項目
項目構成
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18世紀の数学

17世紀末から18世紀にかけては、ニュートンやライプニッツの研究をうけて、物理学や天文学や工学のさまざまな問題を解くのに微積分がつかわれた。その過程で、ベルヌーイ兄弟らによる変分法、モンジュによる微分幾何学など、新しい数学の分野も生まれた。かつては代数計算を意味していた「解析(analysis)」という言葉が、このころまでには、微積分を基礎とした確立した数学分野をさすものとして定着した。フランスでは、ラグランジュが「解析力学」(1788)をあらわし、力学系についての有名なラグランジュ方程式をみちびいた。彼は、微分方程式のほか数論でも業績をあげ、のちの群論につながる仕事ものこした。フランスのラプラスは、「天体力学」(1799~1825)や「確率の解析的理論」(1812)などの著書で、解析学の方法を深め、その威力をみせつけた。

18世紀最大の数学者は、スイス生まれのオイラーであろう。彼は解析学をはじめ、数論、幾何学など数学のあらゆる分野で重要な貢献をしたほか、物理学などへの数学の応用にも功績があった。数学や物理学の問題に微積分をもちいて、オイラーやこの時代の数学者はたくさんの業績をのこしたが、微積分の基礎については、まだ厳密性に欠けるところがあった。運動学の直観にもとづくニュートンの微積分、無限小をつかったライプニッツによる微積分の表現、無限級数を代数的にあつかうラグランジュの方法などは、古代ギリシャ数学的な厳密性を欠いていた。解析学の基礎についての検討は、次の19世紀をまたなければならなかった。

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19世紀の数学

1821年に、フランスの数学者コーシーが、極限や収束の概念をもとに微積分学にきちんとした論理的基礎をあたえた。これをきっかけに、実数の厳密な定義が問題になってきたが、ドイツの数学者デデキントは、有理数の集合の「切断」という考え方を導入して実数の定義をあたえた。やはりドイツの数学者であったカントルワイエルシュトラスも、これと同等だが別のかたちの定義をあたえた。これと深く関連していたのは、関数とは何か、という問題であった。18世紀以降、弦の振動や熱伝導などをあらわす、さまざまな微分方程式が研究されたが、これは解として関数をもとめる問題である。オイラーやラグランジュの成果のほか、フランスの数学者フーリエやドイツの数学者ディリクレが業績をあげたが、はじめて「関数」のきちんとした定義をしたのはディリクレであった。関数の性質を考えるうえでも、実数の厳密な定義が必要になった。

19世紀には、解析学がめざましい発展をとげた。ガウスによって複素数をきちんと数学的にあつかう方法がみいだされ、複素解析という新しい分野が発展した。コーシーやワイエルシュトラス、ドイツの数学者リーマンらによって、複素解析の分野で多くの業績が生みだされた。もうひとつは、フーリエの研究した三角関数の級数であった。これはフーリエ級数として知られており、現在でも解析学の重要な道具になっているが、関数の性質についての微妙な問題をともなっている。フーリエ級数の問題をきっかけに、カントルは無限集合についての研究をはじめ、濃度などの概念を導入した。

非ユークリッド幾何学も19世紀に発見されたが、当時は抽象的で役にたたないと考えられた。非ユークリッド幾何では、ある直線に対し、直線外の1点をとおり、それに平行な直線が2本以上引ける。または、別のタイプの非ユークリッド幾何では、1本も引けない。初めはガウスが考えついたが、論争をおそれて発表しなかった。同じ時代のロシアのロバチェフスキーやハンガリーのボーヤイは、独立に同じ結果をえて、それを発表した。多様体の概念をうちたてたリーマンは、より一般的な枠組みの中で、非ユークリッド幾何の研究をすすめた。そうした成果は、20世紀になって、アインシュタインにより物理学の研究に応用された。

ガウスは、代数学の基本定理を証明して学位をうけ、1801年に「数論研究」をあらわして整数論の新しい時代をつくり、数論を「数学の女王」とよんだ。解析学、幾何学などの純粋数学への貢献のほか、ガウスは偉大な数学者であるとともに、いろいろな科学への数学の応用にも功績があった。天文学、測地学、電磁気学などを研究するとともに、それぞれに関連する数学理論として、最小二乗法、曲面論、ポテンシャル論などの研究を展開した。

代数の重要課題は、19世紀になると、多項式の研究から代数系の研究に移行していった。イギリスでは記号代数がつくられ、論理の代数が生まれた。実数と共通の性質もあるが、別の性質ももつような、新しい代数系がつくられた。たとえば、ウィリアム・ハミルトンの4元数、ケイリーらの行列、グラスマンの線形などがある。また、ラグランジュの研究にはじまる群論も、ガロアが代数方程式の理論にもちいたのをきっかけに、より深いものへと発展していった。

かつてデカルトがおこなったように、この時代の代数学が幾何学に応用されて、新しい展開がみられた。ドイツの数学者クラインは、変換群という群論をもちいて、エルランゲン・プログラムとよばれる幾何学の総合をはかった。ノルウェーの数学者リーは、リー群とよばれている連続群をもちいて、微分方程式を幾何学的に研究する方法を切りひらいた。20世紀になると、代数学はトポロジーとよばれる分野でもつかわれるようになった。

イギリスの数学者ブールは、1854年に「思考の法則についての研究」をあらわし、論理代数という分野をつくった。また、カントルの集合論は、数学が何を対象にし、いかに基礎づけられるのか、という問題をよびおこした。素朴なカントルの集合論ではパラドックスが生じることを、イギリスの哲学者で数学者のバートランド・ラッセルらが指摘した(論理学)。こうした流れが、20世紀の数学基礎論につながっていった。

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現代の数学

1900年にパリでひらかれた国際数学者会議で、ドイツのゲッチンゲン大学教授のヒルベルトが講演した。「幾何学の基礎」(1899)の著作をはじめとして「数理物理学の方法」を共著であらわすなど、彼は、数学のほとんどの分野で偉大な業績をのこした数学者である。講演では、「23の数学の問題」をあげ、新しい世紀の数学の研究目標をしめした。これらの問題は、たしかに20世紀の数学の研究の大きな刺激になった。ヒルベルトの問題の解決は、世界じゅうの数学者の注目の的である。

これらの問題と同じぐらい重要で、しかもヒルベルトが予見できなかったことがあるとすれば、それはデジタルコンピューターの発明だろう。そして、コンピューターは、将来の数学の発展にとってますます重要な役割をはたすものと思われる。コンピューターの歴史は、17世紀のパスカルやライプニッツによる歯車式計算機にはじまるが、命令を書いたプログラムにもとづいて自動的に計算をおこなうことのできる機械を考えたのは、19世紀イギリスのバベッジであった。その構想を実現することはバベッジの時代の技術では無理だったが、20世紀半ばにはトランジスターなどが発明され、大型コンピューターが実現された。コンピューター

コンピューターの発達は、数値解析や有限数学のような数学の分野をひじょうに発展させた。また、アルゴリズムの研究のような数学の新しい分野も生まれた。数論や微分方程式や抽象代数学のようなさまざまな分野で、コンピューターが強力な道具となっている。さらに、コンピューターをつかって数学における長年の未解決問題を解くこともできた。「隣接する2国はことなる色でぬるとして、4色あればどんな地図でもぬりわけられるか」という19世紀中ごろからあった4色問題は、そのもっともよい例だ。この主張が正しいことは、1976年にアメリカのイリノイ大学の大型コンピューターをつかって、最終的に証明された。

現在、数学的知識は、これまでのどの時代よりもはやくすすんでいる。かつてはわかれていた理論が、ますます普遍的で抽象度の高い、1つの理論に統合されていく。たくさんの重要な問題が解決されたとはいえ、リーマン予想のような長年数学の攻略をはばんできた難問ものこっており、また新しい挑戦しがいのある問題も生まれている。もっとも抽象的な数学でさえ、その応用がみつかることが多いということも、現在の数学の特徴といえる。

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