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Windows Live® の検索結果 1803~69 フランスの作曲家。19世紀前半ロマン派の主要な音楽家。 1803年12月11日、南仏イゼール県のラ・コート・サンタンドレで医師の長男として生まれる。21年、パリ大学に入学して医学をまなぶ。しかし23年に医学の道をすてて音楽に転じ、パリ音楽院のフランスの作曲家ル・シュールや、チェコの作曲家レイハに師事。フランス芸術アカデミーが主催する新進芸術家の登竜門「ローマ大賞コンクール」に4度挑戦し、30年にようやく大賞を獲得した。生活面では、39年からパリ音楽院の司書をつとめ、52年には図書館長に就任している。35年ごろから63年にかけては「ジュールナル・デ・デバ」誌に音楽評論を書き、活動の中心となった。また42~63年、指揮者としてヨーロッパ大陸の各地とイギリスへ演奏旅行をしている。 ベルリオーズは交響曲の形式、オーケストラの用法、音楽美学に直接的な影響をおよぼして、19世紀音楽の進展に決定的な役割をはたした。ロマン主義の理念は、作曲家を楽曲製造の職人ではなく芸術家とみなすようになったが、彼はその新しい理念を体現した音楽家と考えられている。当時のまったく新しい音楽の推進に尽力し、オーケストラの技量をこうした音楽の要求にこたえられるレベルまで高め、演奏家を育成した。その結果、ベルリオーズは指揮者としても第一級の巨匠となったのである。 七月革命がおきた年に書かれた代表作「幻想交響曲」(1830)は、のちに妻となったアイルランド人の女優ハリエット・スミスソンとの音楽史上に名高い恋愛をえがいているが、楽曲に物語をくみこんだ手法をもちいた点で音楽美学に革命をおこした。この曲は音楽と文学的テーマを関連づけた標題音楽を確立し、このジャンルはやがてロマン派の管弦楽曲を支配するまでになる。 「幻想交響曲」やビオラ独奏つきの交響曲「イタリアのハロルド」(1834)では、固定楽想(全曲をつらぬいて中心となる主題のこと。この主題はそのまま、または変形されて何度もあらわれる)の手法がつかわれた。これはハンガリーのリストがのちに交響詩と名づけるジャンルの先駆けとなっている。交響詩はさらにワーグナーやリヒャルト・シュトラウスなどの手で発展していく。ワーグナーは、ベルリオーズに多くをまなんだと公に認めている。 ベルリオーズ作品の最高傑作は、古典派の抑制にロマン派の情熱をふきこんだ壮大なオペラ「トロイアの人々」(1856~58)である。ほかに、合唱をともなう劇的交響曲「ロメオとジュリエット」(1839)、オラトリオ「ファウストの劫罰(ごうばつ)」(1845~46)、レクイエム「死者のための大ミサ曲」(1837)、オラトリオ「キリストの幼時」(1850~54)、オペラ「ベンベヌート・チェリーニ」(1834~38)の第2幕への前奏曲を抜粋した序曲「ローマの謝肉祭」(1843)などが知られている。 ベルリオーズの著書「近代の楽器法および管弦楽法」(1844)は、管弦楽法について書かれた最初の理論書で、手引き書であると同時に音楽美学の解説書でもあり、のちの作曲家に多大な影響をあたえた。「回想録」(没後の1870年に出版)、「オーケストラ夜話」(1852)などの著書もある。1869年3月8日、パリで死去。
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