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日本の歴史においても、中世の始まりと終わりをいつにするかについては、さまざまな解釈があるが、一般には始まりを源頼朝が平氏打倒の挙兵をした1180年(治承4)、あるいは鎌倉幕府をひらいた92年(建久3)とし、終わりを織田信長が上洛した1568年(永禄11)や、単独政権を樹立した73年(天正元)までとすることが多い。政治史の時代区分でいえば、鎌倉時代~室町時代にあたり、室町時代はさらに南北朝期(室町前期)・室町中期・戦国期(室町後期)に小さく区分される。
日本の中世の特徴は、武士と荘園の存在であり、その点では、もうすこし前後の時期をひろげて考えることができる。とくに始まりについては、平安後期の1100年前後とする人が多い。それは平安時代後期が、武士層の成長する時代で、また荘園制という土地制度が形成された時代だからである。 中世の終わりは、織豊政権期までとする人も多い。秀吉のおこなった太閤検地が、荘園制に終止符をうったとされるからである。 ここで頼朝の挙兵や鎌倉幕府の成立、織田信長の入京や政権樹立を中世の画期とするのは、あくまでも便宜的なものである。
中世という時代区分は、ヨーロッパの歴史学にまなんでもちいられるようになった。したがって、ヨーロッパ中世の封建制や農奴制が、日本の歴史にあてはめられ、日本の中世を考える場合にも問題にされる。 ヨーロッパでは古代と近代の中間に中世をおくが、日本では古代と近代の間に中世と近世という2つの時代区分をおく。これは中世と近世が封建社会という意味では一括できるが、同一の社会とみるには、ことなる点が多いためである。 そのため、中世を前期封建社会、近世を後期封建社会などとすることもある。中世を封建社会とすることは、ほぼ定説化しているが、封建制がいつ中世の支配的な社会体制になったかについては、荘園制をどう解釈するかという点ともかかわって、なお多くの説がある。
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