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エトルリア美術は、ギリシャ(本土や南イタリア植民市)、エジプト、小アジア美術との交流を通じて、独自の特徴を発展させ、後代のローマ美術にも大きな影響をおよぼした。とくにエトルリアの墓からは、豊富な美術作品が発見されている。
初期のエトルリア建築は、主として木造あるいは煉瓦(れんが)造りだったため、実際の建築物はのこっていないが、奉献物としてつくられた陶製の神殿模型などから、当時の建築が知られる。神殿は高い石造基盤の上にたてられ、ギリシャの神殿と同様、柱でささえられた瓦(かわら)ぶきの、破風(はふ)をもった屋根をそなえていた。しかしギリシャの神殿は、東西方向にたてられていたのに対し、エトルリアの神殿は、南北方向にたてられ、4本の円柱にささえられた正面のポーチは、エトルリアの三主神をまつった3つにわかれた部屋に通じていた。屋根のひさしは装飾され、破風の端は、テラコッタの彫刻でかざられていた。エトルリアの神殿は、ローマの神殿建築に影響をあたえた。 エトルリアの都市は、多くが2つの門と塔をそなえた強固な城壁(→ 壁)でかこまれた、四辺形の計画都市であった。セルウィウス・トゥリウス王(在位、前578~前534)時代につくられたといわれている初期ローマ市の城壁は、エトルリアの建築法を採用している。 エトルリアの家屋は、墓の内部構造や、家の形をした骨壺などから知られる。瓦ぶきの平屋根あるいは切妻のある屋根をもち、1つから3つの部屋があった。後代の家は、雨水をためる小さな池をそなえ吹抜けにした中庭や、ロッジア(開廊)をそなえている。こうした建築様式も後代のローマ人にうけつがれた。さらに、水道施設、橋、下水道なども建築した。 墓地は市外にもうけられていた。墓は石造のひろい地下室をもち、地上は塚または小丘でおおわれていた。初期の墓は単純な構造で、せまい通路が2つの部屋をしきっており、正面の部屋には壁をへこませた小部屋があった。後代の墓は、生前の家屋と同様いくつかの部屋をもち、石棺、骨壺、奉献物がおさめられていた。
エトルリア人は多くの古代人と同様、実用的、あるいは宗教的な目的のために美術作品を制作した。その結果作者の名前はほとんど知られず、厳密な意味での公共美術や恒久的な石造の大彫刻作品は、みられない。またエトルリア美術は、各都市の政治勢力を反映して、都市ごとにことなった特色がみられる。 代表的なエトルリア彫刻は、いずれもテラコッタ(焼成粘土)やブロンズ製である。これには、たとえばカエレ出土の石棺の蓋(ふた)につくられた横たわる夫婦像(前6世紀後期、ビラ・ジュリア美術館蔵、ローマ)や、神殿建築の木材部分を保護するための覆いや屋根、また破風の彫刻作品などがふくまれる。ブルチでは、スフィンクス像や有翼ライオン像などのネンフロ(凝灰岩)彫刻がつくられた。 エトルリア人は、とりわけ青銅彫刻にすぐれた作品をのこした。とくに注目すべき青銅の動物彫刻作品例として、アレッツォ出土の雌狼(めおおかみ)像(前500頃、カピトリーノ美術館蔵、ローマ)やキマイラ像(前5~前4世紀、考古学博物館蔵、フィレンツェ)があげられる。「弁論家」とよばれる等身大彫刻像(前1世紀、同)は、その当時のもっともすぐれた青銅彫刻作品にかぞえられる。
現存するエトルリア絵画の大部分は、墓室の石壁あるいは漆喰(しっくい)塗壁などにえがかれたフレスコ画法による壁画である。とりわけタルクイニアとクルシウム(現キウーシ)付近の墓室壁画が重要である。そのほか彩色された陶板もいくつかのこっている。初期の壁画(前6~前5世紀)は、描写が力強く、色は明るい。 人物像などは様式化され、重々しく、しばしば黒線による輪郭づけがなされている。壁画の主題は、たとえばカエレ出土の4つの石板(前550頃、大英博物館蔵、ロンドン)のような宗教的な内容、あるいは待ち伏せするアキレウスの場面をえがいたタルクイニアの「牡牛(おうし)の墓」のように、神話の主題もある。「鳥占い師の墓」や「トリクリニウムの墓」など、タルクイニアの多くの壁画は、エトルリア人の葬列、競技、踊り、音楽、宴会などの場面を生き生きとえがいている。 前4世紀以後の後期の壁画は、ヘレニズム美術(→ ギリシャ美術)の影響がみられ、またエトルリア勢力の後退を反映している。様式はより写実的で、暗い印象をうける。ブルチの「フランソワの墓」には血なまぐさい戦闘の場面がみられ、タルクイニアの「オルクスの墓」には死の国の翼をつけた魔物がえがかれている。 エトルリア人は、初めはギリシャの彩色陶器を輸入し、模倣した。彼らはまた、金属加工を連想させる線刻あるいは浮き彫り装飾をほどこした、独自の黒色磨製ブッケロ陶器の製作を発達させた。その最盛期は、前7世紀後半から前6世紀にわたる。青銅加工技術において、エトルリア人は戦車、杯、枝付燭台、鏡などを製作し、それらには神話上の場面が彫刻されている。また、線条細工や粒金細工技術を駆使して、みごとな金、銀、象牙(ぞうげ)の装身具をつくった。 エトルリア美術は、前6世紀からギリシャ美術の様式が優勢となる前3世紀まで、ローマ美術に大きな影響力をおよぼした。また、近世のイタリアでルネサンスが開始されたとき、芸術家たちはエトルリア美術から多くのインスピレーションをうけた。 → ローマ美術
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