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工業は手工業をふくむ軽工業が主体で、ワイン、ビール、タバコ、靴、タイル、セメントなどが製造されている。 2004年の輸出額は11億7146万米ドルで、輸入額は57億2893万米ドル。大幅な輸入超過となっている。輸出品はジャガイモ、柑橘類(かんきつるい)、ワイン、チーズ、タバコ、セメント、衣料品、靴など、輸入品は食料品、石油、繊維、自動車、機械など。おもな貿易相手国は、輸出がイギリス、ロシア、ギリシャ、アラブ首長国連邦、シリアなど、輸入がアメリカ、ギリシャ、イギリス、イタリア、ドイツ、日本などである。北キプロスでは、01年の輸出額は約3460万米ドル、輸入額は2億7200万米ドルだった。トルコがおもな貿易相手国で、経済援助もうけているが、イギリスも輸出入とも相手国となっている。
キプロスは、かつては広大な森林で知られていたが、島中央部の平野に繁茂していた木々は長年の間に、薪、造船、その他の建材用に次々と切りたおされてしまった。19世紀後半、キプロスを統治するようになったイギリスは、植林など森林を保護するための努力をつづけたが、のこっていた森の大半は、1974年の対トルコ・ゲリラ闘争により焼失した。近年、森林は国土の総面積のわずか18.8%(2005年推計)にすぎなくなった。 キプロスの水源は極端にかぎられている。国の主要な帯水層には海水が入りこんでおり、そのほかの水源も、産業廃棄物や未処理下水で汚染されている。長年にわたる森林伐採によって、島の水循環(→ 水)がそこなわれ、年間を通じて水をたたえている河川は姿をけした。おもな水路は、冬の間は雨水があつまって流れができるが、夏になると干あがってしまう。雨水をためるためにダムや貯水場がつくられたが、近年の干ばつで、これらの貯水場の水も涸(か)れはじめ、水の消費をきびしく制限せざるをえなくなっている。 キプロス政府は、禁猟区や国有林を設置し、全島の4%(2007年)を自然保護地区としている。
1960年憲法では、ギリシャ系住民とトルコ系住民のバランスがうたわれ、ギリシャ系住民が任期5年の大統領を、トルコ系住民が同じく任期5年の副大統領を選出し、選出された副大統領が国政の重要問題について大統領に拒否権を行使できることが規定されている。また、ギリシャ系・トルコ系7対3の割合で、ギリシャ系35名、トルコ系15名の合計50名からなる任期5年の国会議員が、それぞれの民族集団から選出されることになっている。85年には議員定数が80名にふえ、ギリシャ系56名、トルコ系24名となった。 しかし、1963年以後、トルコ系は空位、空席のままで、ギリシャ系が政治の実権をにぎっている。75年以降、トルコ系は独自の大統領と立法機関(一院制で定数50名)、司法機関をもっている。 軍事面では、ギリシャ系、トルコ系双方にそれぞれギリシャ、トルコに支援された独自の軍があり、2002年の兵力は、ギリシャ系が1万人、トルコ系が5000人である。1964年以来、住民対立の内乱への発展をふせぐために国連キプロス平和維持軍が派遣されており、2007年11月時点で923人が駐留。そのほかギリシャ系地区にはギリシャ軍とイギリス軍が、トルコ系地区にはトルコ軍が駐留している。
キプロスには新石器時代、青銅器時代に、すでにすぐれた文明があったと考えられている。前1450年ごろ、エジプトのトトメス3世に征服され、以後、東地中海交易の中心地としてさかえた。前1400年ごろからギリシャのアルカディア人との交易がはじまり、前800年ごろになるとフェニキアが島への植民をはじめた。 前8世紀にアッシリアに征服され、その後、エジプト、ペルシャ、アレクサンドロス大王、ローマと、その時代の強国の支配下におかれる。ローマが東西に分裂したのちはビザンティン帝国に属していたが、第3次十字軍時代の1191年にイングランドのリチャード1世に占領され、テンプル騎士団に贈与された。その後、エルサレム王ギ・ド・リュジニャンの属領となり、数世紀をへた。このころにたてられた大きな砦(とりで)や城が、今でものこっている。 1489年からベネツィアが、1571年からオスマン帝国が領有した。このころ、トルコ人イスラム教徒が数多くキプロスに移住している。1878年露土戦争にやぶれたオスマン帝国は、ロシアのさらなる勢力拡大をおそれてイギリスにキプロスの統治権をあたえた。
1878年6月にむすばれた協定によると、名目上はオスマン帝国が領有するものの、イギリスがキプロスを租借し、統治をおこなうというものだった。79年にイギリスが行政府を開くと、ギリシャ正教会の大主教とギリシャ系住民はキプロスのギリシャ王国への併合を請願したが、拒否された。第1次世界大戦に、オスマン帝国が同盟国側として参戦したため、イギリスは78年の協定を破棄し、1914年11月にキプロスを併合する。25年にローザンヌ条約(1923年)により、キプロスはイギリスの直轄植民地となった。
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