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1917年の独立以来、小党分立(→ 多党制)がつづいており、連立内閣が政権交代をくりかえしてきた。戦後は、おもに社会民主党か中央党の党首が首相をつとめている。82年1月、25年間在任したケッコネンにかわって社会民主党のコイビストが大統領となった。83年の総選挙で社会民主党は議席をのばしたが、87年3月の総選挙では議席をへらし、保守の国民連合などとの連立内閣が成立した。このとき、国民連合のホルケリが首相になり、20年以上政権から遠ざかっていた保守政党が社会民主党とともに政権を担当することになった。88年2月の選挙でコイビストは大統領に再選されている。 1980年代の経済成長率は年4%で西側諸国で最高だったが、90年代初期には、負債にあえぐ旧ソ連諸国との貿易の減少により経済は停滞した。ホルケリの連立内閣は不人気となり、91年3月の選挙で中央党が第1党にかえりざいた。社会民主党は野党となり、中央党党首のアホが連立内閣を組閣した。92年3月にEC(ヨーロッパ共同体:現EU)に加盟を申請する。94年2月の選挙では社会民主党のアハティサーリが大統領に就任。同年秋におこなわれた国民投票でEU加盟が承認された。同年5月には、NATOに加盟するための第一歩として、「平和のためのパートナーシップ」協定の枠組み文書に調印した。 1995年1月1日、フィンランドはオーストリアやスウェーデンとともにEUに正式加盟した。3月の選挙で社会民主党が第1党になり、同党党首のリッポネンを首相とする連立内閣を、中央党など4党とともに発足させた。99年3月の選挙でも社会民主党は第1党の座をまもり、リッポネン首相のもとで5党による中道左派連立政権が継続されることになった。6月、アハティサーリ大統領はEU議長国首脳として米ロ代表と会談し、NATO軍のユーゴスラビア空爆の停止手順を協議するとともに、ユーゴスラビア連邦のミロシェビッチ大統領の同意をひきだして、コソボからのユーゴ軍の撤退とNATO軍による空爆停止を実現した。 2000年2月、大統領選挙の決選投票で社会民主党のタルヤ・ハロネン外相が当選し、フィンランド初の女性大統領となった。02年5月、議会は、国内5基目となる原子力発電所を新規に建設する政府案を承認した。原発の新設は約30年ぶりである。強く反対していた緑の党は連立政権から離脱した。脱原発の潮流に対立する選択の背景には、電力需要の増大と、石油依存型エネルギーの見直し、京都議定書によって現実的になった温室効果ガスの削減課題などがある。また、この前年の01年5月、議会は、使用済み核燃料を地下深くに半永久的に埋蔵する最終処分場の建設を決定している。 2003年3月の選挙では、中央党が社会民主党を僅差(きんさ)でおさえ、1995年からつづいたリッポネン政権はおわった。中央党党首アンネリ・ヤーテーンマキが初の女性首相となり、4月、中央党、社会民主党、スウェーデン人民党の連立政権が発足した。大統領、首相ともに女性がつとめる新体制が注目されたが、ヤーテーンマキは、選挙戦で「リッポネンはアメリカのイラク攻撃(→ イラク戦争)に協力的である」と攻撃するために外務省の機密文書を不正に入手した疑惑が浮上して、在任わずか2カ月で辞任した。新首相に前国防相のマッティ・バンハネン(中央党)が選出され、ヤーテーンマキ政権の方針を継承する新内閣が発足した。06年1月の大統領選挙は、現職のハロネンが僅差で再選をはたした。
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