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20世紀後半の化学工業では、第2次世界大戦中に軍事用として開発された技術が民生用に転用され、製造装置の大規模化が進展して、独占の支配がいっそう強化された。また、この時代には、合成高分子化学工業を中心とした有機合成化学工業が酸、アルカリ、肥料などを中心とした無機合成化学工業を圧倒的にうわまわり、原料資源が石炭から石油にほぼ完全に転換した。 触媒の研究がすすみ、これを利用した石油の改質技術が向上すると、従来はコールタールからつくられていた芳香族炭化水素が、石油から大量かつ安価に生産できるようになったため、石油化学工業の優位は確実なものになった。 石油資源にめぐまれないヨーロッパでは、戦後も石炭系の原料をつかって、さまざまな有機化学合成がおこなわれてきたが、1950年代には、石炭化学工業のリーダーだったドイツでさえ、石油化学に移行するようになった。こうした石油化学への転換は、化学工業と化学技術の主導権がドイツからアメリカへと移行したことを意味する。それと同時に、ポリスチレン、ポリエチレン、ポリプロピレンなど、素材化学工業部門におけるさまざまな高分子化合物が、多様な分野で用途を広げ、急成長をとげていくのである。
1970年代、2度の石油危機をへて、世界の化学工業の様相は大きく変化した。80年代には、原油価格の高騰によってコストが急上昇し、需要の伸びが大きく低下した。設備が大幅に過剰となり、アメリカ、ヨーロッパをはじめ日本などの先進工業国は、設備の廃棄を余儀なくされた。その結果、逆に過剰生産による原油価格の下落と、これにつづく低位安定によって、素材化学工業部門が安定成長するようになった。
また、先進工業国では、ファイン化、スペシャリティー化(→ ファインケミカル)などの加工型化学工業部門の需要がのび、世界の主要な化学企業は、付加価値の高い加工型化学製品を中心とした新しい成長の時代に入る。 同時に、バイオテクノロジーに代表される分子レベルの研究がめざましく発展し、技術革新の波は、化学工業の生産体制を大きく変化させることになる。この事実は、新しい化学工業の登場を予見させ、従来の化学会社とは別の企業の参入がすすむと考えられる。 アメリカ、ヨーロッパの化学企業は、国内で寡占的体制を確立する一方、海外事業を積極的に拡大し、多国籍企業の地位を確保するようになった。1990年代に入ると、アメリカ、ヨーロッパ、および日本を中心とするアジアの3つの地域で、市場の統合化が進展する。これにともない、各国の化学企業は、世界市場で生きのこるために、海外事業を拡大する必要にせまられた。
日本の近代化学工業は、明治維新後にはじまる。
とりわけ、貨幣や紙幣の製造に必要な無機化学薬品を製造するため、外国技術の導入を促進し、官営の硫酸ソーダ工場が1872年(明治5年)に建設された。 この時代には、近代国家の軍事的必要から、軍工廠(こうしょう)における自給自足的な火薬などの製造が課題とされ、化学工業の重要な1部門とされた。 硫酸は、造幣以外にも、中国への輸出、過リン酸石灰(→ リン酸肥料)の製造用に利用され、農業の生産性向上に重要な役割をはたした。その後、化学肥料部門は、とくに大きく発展する傾向をしめし、化学肥料の利用で農業の生産力が増大し、工業部門の資本蓄積の源泉となっていった。
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