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流通手段および支払い手段として機能する流通貨幣の略称で、その国に流通している金属貨幣である鋳貨と紙幣、小切手をふくむ広義の貨幣の全体をさす。日本では、当事者間の決済を最終的に完了する支払完了性(ファイナリティ)をもつ日本銀行(日銀)発行の銀行券と政府発行の貨幣(硬貨)を「現金通貨」、個人・企業が金融機関に保有している要求払預金と、金融機関が日銀に保有する当座預金を「預金通貨」、さらに外貨預金と、解約すれば決済手段となる定期預金などを「準通貨」と称している。一般に「現金通貨」は小口取引、「預金通貨」は大口取引に使用されるが、通貨といえば、「現金通貨」の意味に限定してもちいられる場合が多い。 通貨という言葉がつかわれるようになったのは、第1次世界大戦後で、比較的新しい。この言葉の当初の用法は限定的であった。たとえば、政府が紙幣を発行していない国では、この言葉はもっぱら銀行券に対してのみもちいられた。一方、アメリカ合衆国などでは、政府の発行した法貨としての紙幣にもちいられた。しかし、第1次世界大戦後に信用手段の利用が激増し、この言葉の適用範囲が広がった。 一国の経済活動に必要な通貨量は、原則としてその国の商品やサービスの取引量に依存する。基本的には、商品やサービスの取引量が増加すれば、必要な通貨量は増大する。景気が拡大しているときには通貨量は増大する傾向があり、不況のときには逆に減少する傾向がある(→ マネーサプライ)。
明治維新前後の混乱期のあと、1871年(明治4)新貨条例が制定され、円が貨幣単位として採用された。この条例で、制度上は日本も金本位制とさだめた。また、それまでの両・分・朱(銖:しゅ)の貨幣単位がとっていた四進法も円・銭・厘の十進法にかえられた。→円(経済)の「円の登場」
しかし、開港場では一円銀貨が無制限法貨とされ、金貨の鋳造も少なく、また中国などの銀本位国との貿易を強化しようとしたため、1878年に金銀複本位制が制定された。当時、国内ではいぜんとして政府紙幣と国立銀行が発行する不換紙幣が流通していた。そのため、82年に日本銀行が設立され、発券を独占した。当初は銀との兌換券(だかんけん)だったが、日清戦争の賠償金をもとに97年に金本位制が名実ともに確立した。 金本位制が崩壊するのは、第1次世界大戦後である。1917年(大正6)に金輸出が禁止され、31年(昭和6)には銀行券との兌換も停止になった。兌換停止後、通貨発行限度額は急速に膨張した。中国戦線が泥沼化し、太平洋戦争が勃発(ぼっぱつ)した41年、戦費調達の必要から発行保証としての正貨準備(→ 比例準備制度)が撤廃され、管理通貨制度に移行した。
翌1942年には旧「日本銀行法」が制定され、銀行券の名称は兌換銀行券から日本銀行券にかわり、銀行券発行高に応じた優良資産保有を義務づけた発行保証制度と、その上限を制約した最高発行額制限制度がもうけられた。この銀行券発行高に関する両制度は、97年(平成9)に成立した改正「日本銀行法」では廃止された。金融政策の適切な対応および経済取引の変化に応じた増減措置、というのが廃止の理由であった。
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