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中東

中東 ちゅうとう Middle East
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

アジア南西部とアフリカ北東部の地域で、ヨーロッパからの距離感と文化の同一性によっておおまかに定義される。現在中東にふくまれる国は、エジプト、イラン、イラク、イスラエル、パレスティナ自治政府が管轄する地域、ヨルダン、クウェート、レバノン、サウジアラビア、シリア、トルコ、キプロス、イエメン、それにアラビア半島南東の国であるバーレーン、オマーン、カタール、アラブ首長国連邦である。イスラム教の戒律と慣習にもとづく文化領域からみると、中東の概念はさらに拡大し、東方のアフガニスタンとパキスタンから北アフリカ全域をさし、スーダン、リビア、チュニジア、アルジェリア、モロッコもふくまれる。

現在の中東という言葉を最初につかったのは、第2次世界大戦中のイギリス軍司令部である。以前にこの地域をあらわしていた近東という言葉は、場合によっては中東の地中海地域の中心部をさすことがある。

II

古代

古代から中東地域には、食料や原料、製品をもとめてやってくる商人や、政治的な支配をねらう侵略者がたえなかった。この地域で生まれたさまざまな思想や技術、文化、慣習は以後の世界に大きな影響をあたえ、中東は古代文明発祥の地とよばれる。最古の農場、都市、政府、法典、アルファベットはどれも中東から生まれ、ユダヤ教ゾロアスター教キリスト教、イスラム教もここから誕生した。

1

古代文明

古代人が大河川(ナイル川ティグリス川ユーフラテス川インダス川)の治水と灌漑をまなび、天地万物や人間関係、生死の意味を説いた宗教を生み出すにつれ、数々の国家が誕生した。前3000年前後、まずエジプトシュメールがおこった。両国には絶大な権力をもつ王、神官、官僚、それに洪水や侵略から国をまもる多くの人々がいた。しかし、侵略者はたえなかった。シュメールは都市国家群をつくっていたが、まず南方のセム語族のアッカド人とアモリ人に、その後北方のインド・ヨーロッパ語族に侵略される。前2000年ごろ、ティグリス川とユーフラテス川の流域メソポタミアにセム系の古代バビロニア王国がつくられた。

エジプトは前1600年ごろヒクソスという遊牧民に一時期占領されたが撃退に成功し、ふたたび王国を統一した。前1000年ごろ、侵略者が新たにおしよせ、戦いをくりひろげた結果、フェニキア人やヘブライ人(パレスティナ)の王国や都市国家が続々と誕生した。フェニキア人はアルファベットの原型をつくった商業民族、ヘブライ人は唯一神を信奉した最初の民族である。メソポタミア北部からおこったアッシリアは鉄器を武器とした戦闘的な民族で、フェニキアやイスラエルの砦(とりで)をうばい、メソポタミアの広大な地域を征服、前7世紀にはエジプトを併合し、はじめてオリエントを統一した。

前6世紀、古代ペルシャが中東全域を侵略し、後世の帝国の見本となる支配体制を確立した(アケメネス朝)。ペルシャの領域はインダス川からナイル川まで広がっていたため、統治者がすべての住民の思想や行動を統制することは不可能だった。そこで統治者は信仰や慣習の自由をみとめるかわりに、住民に法の順守や納税、兵役の義務をおわせた。政府は道路や伝馬制を整備し、政治用語を統一して中央集権化をすすめ、一方では征服地域での自治が大幅にゆるされていた。国教はゾロアスター教だったが、他の宗教も容認されていた。前4世紀になるとペルシャは反乱や内紛によって衰退し、マケドニアアレクサンドロス大王に征服される。

2

ギリシャ・ローマ時代

アレクサンドロスの支配によって、中東ではその後1000年もの間、ギリシャ文化を核とするヘレニズムの世界がさかえることになる。アレクサンドロスがエジプト、メソポタミア、ペルシャなどの思想や慣習、官僚・兵士制度をとりいれたために、ギリシャ文化は多様性にとんだものになった。アレクサンドロスの功績をたたえて名づけられたエジプトの港アレクサンドリアは、貿易と文化の中心地として繁栄した。

マケドニア王国が衰退すると、ローマ人がヘレニズム世界のほとんどを占領したが、ペルシャはパルティア(前248~226)とササン朝(226~651)という2つの王朝のもとで独立をまもった。ローマ人の支配によって、エジプト、シリア、小アジアでは法の統一や道路整備がなされ、交易が盛んになった。ユダヤ教、キリスト教、ペルシャにおこったミトラス教を信奉する人々は、多くの信者を獲得しようとローマ帝国じゅうで布教活動をくりひろげた。キリスト教が普及したのは、帝国で公認をえた4世紀初めのことである。

キリスト教徒となった最初のローマ皇帝コンスタンティヌス1世は、首都をボスポラス海峡の港ビザンティウムにうつし、東方に政治組織を集中させた。ビザンティウムはコンスタンティノープル(現、イスタンブール)と改称されて大都市になり、ビザンティン帝国(東ローマ帝国)の首都として1000年以上もさかえることになる。

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