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EU(ヨーロッパ連合)

EU(ヨーロッパ連合) イーユー
百科事典項目
マルチメディア
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項目構成
4

単一市場へむけて

1980年代のヨーロッパ共同体(EC)のもっとも重要な発展は、単一市場の実現へむけての進歩である。単一市場計画は、85~95年にEC(EU)委員長をつとめたフランスのドロールによってすすめられた。85年6月、イタリアのミラノでのヨーロッパ理事会(EC首脳会議)の席上、EC委員会は加盟国間に残存する貿易障壁をほぼ全面的に撤廃する7カ年計画を提案した。首脳会議はこれを承認して92年12月31日を目標にヨーロッパ単一市場を達成することとし、EC改革に拍車をかけ、加盟国間の相互協力と統合をすすめた。

完全な経済統合への障害のひとつは共通農業政策(CAP)だった。共通農業政策は、域内農民の所得の保障や生産・流通機構の改善、農民の労働条件の向上を目的とするものであるが、1980年代を通じて共通農業政策への財政負担は年間のEC歳出の3分の2を占めていた(歳入は域外産品への輸入課徴金と加盟国が徴収する2%以下の付加価値税からなる)。

共通農業政策は一部の農産物の過剰生産を生み、過剰分の買い取りを義務づけられたECは、一部の加盟国の犠牲のもとで助成金を捻出(ねんしゅつ)せねばならなかった。そこで1988年の緊急首脳会議において助成金の制限が合意された。89年度予算では60年代以降ではじめて、農業助成金がECの全支出の60%以下におさえられた。

5

単一ヨーロッパ議定書

単一市場達成の計画にしたがい、最終期限までに貿易障壁撤廃にかかわる全問題を解決するには、EC(ヨーロッパ共同体)がもっと大きな力を必要としていることは明らかだった。

1987年7月に発効した単一ヨーロッパ議定書は、域内市場を「物、人、サービス、資本の自由な移動が保障された国境のない領域」と規定し、その完成を92年末に設定するとともに、57年のローマ条約以来はじめてEC機構に大改革をもたらした。なかでも、これまで全会一致制をとっていた理事会の議決の一部に特定多数決制を導入したことは、意思決定を迅速化し、単一市場へのプロセスの短縮につながった。

単一ヨーロッパ議定書はこのほかにも重要な改革をおこなった。単一市場への起動力となってきたヨーロッパ理事会は正式な地位をあたえられた。ヨーロッパ議会の影響力が拡大され、共通の政策・水準の適用の幅は税金や雇用・健康問題にまで広げられた。また個人および機関や企業がECの決定に対する抗議をもちこむ第1審裁判所がヨーロッパ裁判所にもうけられ、さらに各国は経済・通貨政策に関して、ヨーロッパ通貨制度(EMS)をモデルとしてほかの加盟国と協調することとなった。

6

ヨーロッパの変化とEC

通貨統合の支持者たちは、資金移転の各種規制や為替手数料が資本の自由な流れをさまたげているかぎり単一市場はありえないと考え、経済通貨同盟を達成するための3段階計画が提案された。同時にEC委員会は人権にかかわる社会憲章を提案した。

イギリスは、ヨーロッパ共同体(EC)の権力拡大は個々の国家の主権をおびやかすものだと主張して、この2つの提案に反対をとなえた。しかし結局イギリスは、ヨーロッパ全体がECの統合された迅速な対応を必要とする状況から、当初みおくっていたヨーロッパ為替相場メカニズム(ERM)への参加を決意した。

東ヨーロッパで社会主義が崩壊すると、かつての社会主義国の多くがECに政治的・経済的援助を期待するようになった。そうした国々に対しECは軍事援助や準加盟協定には合意したが、正式加盟はみとめなかった。1990年4月の緊急首脳会議で加盟がみとめられた東ドイツは唯一の例外で、東西ドイツ統合によって自動的にECの一員となった。

またこのときの会議では、急激な政治の変化の結果として、西ドイツとフランスがより緊密なヨーロッパの統合を追求する政府間協議(IGC)を提案した。これにより、通貨統合と政治協力の両分野で政府間協議がすすめられ、ヨーロッパ連合条約案が作成された。

IV

EUの発足と通貨統合

1

ヨーロッパ連合条約(マーストリヒト条約)

ヨーロッパ連合条約案は1991年12月オランダのマーストリヒトで開かれたヨーロッパ理事会に提出された。はげしい議論の末、92年2月7日、条約は最終的に調印された。この条約は各加盟国の国民投票による批准が発効の条件とされていた。各国の批准をへて、93年11月1日に条約は発効し、ここにEU(ヨーロッパ連合)が発足した。同条約は、調印された地にちなみ、マーストリヒト条約と通称されている。

条約によると、EUの目的は、経済通貨同盟(EMU)の設立、共通外交安全保障政策の実施、司法・内政領域での協力とされ、ヨーロッパ中央銀行の設立や単一通貨の導入がきめられたほか、加盟各国の市民にヨーロッパ市民権が付与された。これによって、EU各国の市民は域内の国々で生活し、はたらき、まなぶ自由が拡大され、国境管理も緩和された。

EUは1993年から域内市場を完全に統合し、アメリカをうわまわる人口約3億7000万の市場が登場した。このため282項目の統合措置が提案され、域内資本移動は自由化されたが、法人税の高いドイツとイギリス、フランス、イタリアとの調整が難航し、企業税制の統一はみおくられた。また人の移動に関しては、95年3月に発効したシェンゲン協定によって特定8カ国間ではあるが、国境がなくなった。

通貨の統一は、EUの政治統合の経済的前提をなしており、1994年1月マーストリヒト条約にもとづきヨーロッパ通貨機構(EMI)が発足した。そして95年12月のEU首脳会議で、99年1月に資本取引などから導入を予定している単一通貨の名称をユーロとすることを決定した。

EFTA(ヨーロッパ自由貿易連合)は、1991年にEC(ヨーロッパ共同体)、EFTA間で物、サービス、資本の単一市場を生みだすヨーロッパ経済地域(EEA)の設立に合意、94年1月1日にヨーロッパ経済地域を発足させて、EU、EFTA間の貿易障壁を撤廃した。その後95年1月、EFTA加盟のオーストリア、フィンランド、スウェーデンがEFTAを脱退してEUに正式加盟した。

2

新EU条約(アムステルダム条約)

1997年6月に開かれたEU首脳会議は、これまでのEU条約(マーストリヒト条約)を大幅に改定し、新EU条約(アムステルダム条約)を採択した。まず、EUの共通外交や安全保障政策はこれまで全会一致が原則とされてきたが、新条約は賛成国だけで実施義務をおい、棄権国は義務を免除される建設的棄権制を導入することによって意思決定に機動性をもたせた。

また、翌1998年早々に開始される中・東欧諸国との新規加盟交渉をにらんで、機構改革の手順をさだめた。さらに、条約の目的の中に高水準の雇用をくわえることや、労働条件などを規定する社会憲章を従来の条約付属文書から格上げして条約本体にくみいれることなどがきめられた。

この雇用や社会憲章を条約にくみいれたのは、新条約の採択に先だって同じく採択された財政安定協定(安定成長協定)が、通貨統合後の通貨の安定のために、各国の財政赤字が国内総生産(GDP)の3%をこえた場合、極端な景気後退を原因としていないかぎり制裁金を科すとしているのに対する各国の不安を解消するためであった。

この新EU条約(1999年5月発効)を前提に、EUは通貨統合と拡大にむけて本格的にうごきはじめた。

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