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    この項目では、現在のベルギー、オランダ、フランスにまたがる歴史的な地域について記述しています。ベルギーの連邦構成自治体については「 フランデレン地域 」を、その他の用例については「 フランドル (曖昧さ回避) 」をご覧ください。

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フランドル

フランドル Flandre
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

地域・言語共同体として区分されたベルギーの地方のひとつ。フランドルはフランス語による名称で、オランダ語ではフランデレン、英語ではフランダース。西フランデレン、東フランデレン、アントウェルペン(アントワープ)、リンブルク、フラームス・ブラバントの北部5州からなり、西はフランスと北海、北と東はオランダ、南はベルギーのフランス語地区(ワロニー)と接している。面積は1万3522km²。人口は611万7440人(2007年推計)。

歴史上フランドルとして知られる地域は、現在のオランダやフランスの一部もふくみ、大きな経済力をほこっていた。フランドルの諸都市がとくにさかえたのは、毛織物工業が国際的に評価された13世紀以降で、独特なフランドル文化をつくりだした。ファン・エイクに代表される絵画、文学、教会や市庁舎として今日にのこる建築は、この地方の文化をヨーロッパ文明の指導的な地位にまで高めた。

II

地形と住民

フランドル地方は、沿岸部のポルダー(干拓地)と、平原や低い台地からなり、比較的平坦である。海岸沿いの地域は海面とほぼ同じ高さで、南部の台地でも標高200mほどしかない。小高い南部の台地からながれる多数の河川は、中心となるスケルデ川と合流し、アントワープをとおって北海へそそいでいる。

フランドルにはアントワープ、ヘント、コルトレイク、ブルッヘ(ブリュージュ)などの都市がふくまれ、ベルギーの首都ブリュッセルはこの地方の行政の中心であるとともに、首都として独立した地区になっている。住民にはフラマン人が多く、オランダ語の方言であるフラマン語を話すが、ブリュッセル周辺地域やワロニー地区の境界周辺には、フランス語を話す人々もくらしている。

III

経済

フランドルは長い間ヨーロッパ経済の中心のひとつだった。ブルッヘは13世紀に国際貿易と織物産業の中心地としてさかえ、15世紀以降はアントワープが世界的な貿易港となった。19~20世紀初期には、ヘント、アントワープ、コルトレイクが工業の中心地となり、東部では石炭の採掘がはじまった。第2次世界大戦までは南部のワロン人がベルギー経済をにぎっていた。

20世紀後半、アントワープとブリュッセルをむすぶ地域に外国資本が導入され、工学やハイテク産業が急成長するとともに、サービス業も隆盛した。現在、この地域は、フランドルだけでなくベルギー経済の中心となっている。農業も盛んで、ビート、穀類、亜麻、ジャガイモ、果物、野菜、花、観葉植物などが栽培されている。沿岸地域や歴史的にゆかりのある都市の観光も、フランドルの経済にとって重要な位置を占めている。

IV

歴史

前1世紀にはケルト人がすんでいたが、その後数世紀の間、ゲルマン系の諸部族(ゲルマン人)が征服し、9世紀にはカール大帝の王国の一部に属した。862年に、カロリング朝のシャルル禿頭(とくとう)王(のちの神聖ローマ皇帝カール2世)の婿ボードゥアン1世が初代のフランドル伯となり、ボードゥアン1世と2世の治世中に、バイキングの侵入を撃退できる力をそなえた。10世紀前半にボードゥアン3世はガン(オランダ語ではヘント)を毛織物と絹織物生産の中心地にしたて、またブルッヘ、イーペルなどの都市で定期市をひらかせて、商工業の発展の基礎をきずいた。

11世紀にフランドルは神聖ローマ皇帝とフランス国王の属領となったが、ボードゥアン5世の時代にエスコー川(オランダ語ではスケルデ川)とダンドル川(オランダ語ではデンデル川)にはさまれた地域と、アンベール(オランダ語ではアントウェルペン、英語ではアントワープ)の辺境伯領がフランドル領となった。フランドル伯領は王国にならぶ権威を獲得し、フランドルの支配者は西ヨーロッパの政治にかなりの影響力をもつようになった。

1191~1280年の間、フランドルと隣接のエノー地方は合同して伯領をなしていたが、80年にフランドルのマルグリットが死去すると、合同は解体した。マルグリットの息子ギー・ド・ダンピエールがフランドル伯領をつぎ、孫のアベヌのジャンがエノー伯となった。14世紀初めに、フランドルはフランスのフィリップ4世の攻撃をうけ、一時その支配に服した。その後、1369年にブルゴーニュ公国のフィリップ大胆公とフランドル伯ルイの娘マルグリットが結婚すると、ブルゴーニュ公国に編入された。単一の独立国としてのフランドルの歴史はこの年で終わりをつげ、1477年にフランドルはハプスブルク家の支配下にはいる。

16世紀末にフランドルは、スペインのハプスブルク王家による支配に反対して蜂起し、国は荒廃して、商業の中心はオランダ地域にうつった。17世紀前半に、フランドル北西部のオランダ・フランドルとよばれる地方は、スペインからオランダ(ネーデルラント連邦共和国)に譲渡され、フランスは17世紀後半~18世紀初頭の一連の条約で、フランス・フランドルとよばれる地方を獲得した。また、ユトレヒト条約を追認した1714年のラシュタット条約とバーデン条約によって、残りのスペイン領はオーストリアのハプスブルク家のものとなった。

1795~1814年のナポレオン時代には、フランドルはフランスに統合されたが、1815年のウィーン会議はフランドルをふくむベルギー、オランダをいっしょにしてネーデルラント王国をつくった。しかし、30年にベルギーは独立をかちとり、現在東フランドル、西フランドルとよばれている地方がその領土にふくまれることになった。20世紀になって、国内の言語権をめぐる論争が高まると、フランドルはベルギー北部全域の地方自治を強く主張した。1960年代初めには公式にフランドル行政地区が承認され、歴史的に形成された言語境界にそって国が区分された(ブリュッセルとその近郊はのぞく)。

1970~93年におこなわれた憲法改正によってベルギーは連邦国家となり、統治権の大半がフランドル、ワロニー、ブリュッセルの連邦3地区へ委譲された。フランドルはフランドル議会によって統治され、この議会はフラマン人とブリュッセルのオランダ語系住民が選出する国会議員で構成される。

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