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Windows Live® の検索結果 中国から中央アジア、西アジア、ローマをむすんだ古代の東西交通路。シルクロード(絹の道)とよばれるのは、このルートをとおって中国特産の絹が交易されたことによるもので、「シルクルート」ともよばれる。ドイツの地理学者リヒトホーフェンが1877年、著書「支那」で、このことばをつかったのが始めである。 古代の東西交通路は、細部をふくめれば何本かのルートがあったが、海路をのぞくと大きくは、中国の長安や洛陽から天山山脈、パミール高原をへて西アジアからヨーロッパにいたる道(オアシスの道)と、モンゴル高原から黒海北方の広大な草原地帯をとおってヨーロッパにいたる道(→ 草原の道)があった。 シルクロードは、前130年ごろ、中国の漢の武帝が、征服と同盟を通じて、中央アジアの広い地域を傘下(さんか)におさめたあとに使用されはじめた。この地域が安定して、漢による行路建設がすすむと、長距離におよぶ隊商の往来が可能となり、中国からは絹や製紙法、西方からはガラス製品、羊毛、金、玉(ぎょく)などが交易された。ただし、隊商は、シルクロードを端から端まで完全に往来したというより、シルクロード上で個別の隊商がおちあい、交易をおこなうことが一般的だった。知識もまた、シルクロードにそって中国へつたわり、あるいは中国からつたえられた。キリスト教の1派ネストリウス派の教義がヨーロッパから中国に伝道され、仏教がインドから中国へ伝来した。 5世紀にローマ帝国が崩壊すると、シルクロードは荒廃し、遊牧民族がこのルートを支配するようになると、安全な状態はたもたれなくなった。しかしその後も、平和が到来するつど、断続的にではあるが使用された。モンゴル帝国の支配下にあった13世紀に、イタリアの商人マルコ・ポーロが、ペルシャ湾岸のホルムズを経由して、あとはほぼシルクロードにそって中国に到達したが、その旅程はおよそ3年にわたった。
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