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貴族の位階や序列をあらわす称号のこと。ヨーロッパ、中国、日本のそれぞれでことなった歴史的変遷をみたが、ここではヨーロッパの爵位の形成を中心に説明する。
中世ヨーロッパの封建貴族は、ノビレスnobiles(ラテン語)、ノビリティnobility(英)などとよばれる。12世紀までの貴族は、富、権力、家柄にすぐれた者が世襲的に形成する事実上の特権的社会階層であって、特定の法的ないし制度的な規定や称号があったわけではなかった。 封建社会(→ 封建制)にあっては、広大な所領を所有し、そこで生活する従属民に支配権力を行使し、また「戦う者」としての戦士的な生活をおくり、多くの場合、そのような社会的地位を世襲する者が貴族であり、のちに爵位と総称されるようになる称号の有無が貴族であるかどうかを決定するわけではなかった。 また当時の貴族は閉鎖的な社会集団ではなく、実力でこのような階層に上昇する者も少なからずいた。また裕福な都市民で、都市共同体の政治を支配するような有力者やその一門についても、貴族とよぶことができるだろう。しかし現在の欧米語では、このような都市貴族層をさす場合には、前述したような封建貴族層とは区別して、ことなる用語であるパトリシエイト patriciate(英)をもちいている。実際、都市貴族のもちいていた社会的称号から、次にみるような爵位が発生することはなかった。
13世紀にはいると、フランスなどの国々では、国王権力による中央集権化が進展するなかで、貴族について法的な規定があらわれるようになる。そこでは、身分制的に構成された社会をつくりだそうとする王権の意図が根本的な背景にあった。 しかしそれとともに、領主役人、裕福な都市民や農民などの中にも、所領や官職を購入、獲得して貴族身分に参入しようとする者がでてくることや、逆にそのような動きに対抗して、旧来の貴族層が自分たちの身分を厳密にし、排他的なものとすることをめざす動きもあり、社会の各層が明確に定義された貴族身分をもとめるようになったのである。そこでは、しだいに爵位をもつことが貴族であることの指標のひとつとみなされるようになっていった。
そこでの貴族身分とは大ざっぱにいって、公、侯、伯、子、男などという爵位をもつ上級貴族と、騎士や盾持ちなどの下級貴族に大別される。爵位という場合には、通常は上級貴族の称号をいう。これらの爵位の名称については、それ以前の時代から段階的にかたちづくられていった経緯がある。 「公」は、ゲルマン時代の軍事指導者を意味するドゥクスduxからでた言葉である。「侯」と「伯」はカロリング時代の官職名マルキオmarchioとコメスcomesに由来し、前者はカロリング朝フランク王国の辺境地域を統治する辺境伯、後者はカロリング国王によって任命された地方管区長官だった。またイングランドでは、「伯」はアールearlとよばれるが、これはアングロ・サクソン時代の地方長官オルダマンealdormanに由来する。 「子(ウィケコメス vicecomes)」は、もとは伯の副官にあたる官職名であり、少なくともカロリング時代までの時期については、「副伯」と訳されるべきであろう。英語とフランス語でバロンbaron(ラテン語ではバロbaro)とよばれる「男」は、12世紀までは国王に直接つかえる家臣や従者を意味し、上級の貴族もこの呼称をもちいていたが、爵位としての意味が厳密になると、下位の貴族の称号となった。
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