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Windows Live® の検索結果 世界でも有数のオペラ・カンパニーのひとつ。現在の正称はパリ国立オペラ(Opéra national de Paris)。19世紀半ばにもっともさかえ、グランド・オペラの確立に貢献した。1875年から本拠にしてきたガルニエ設計の壮麗な劇場(パレ・ガルニエ)も、オペラ座、あるいはパリ・オペラ座とよばれる。 1669年、台本作家ピエール・ペランが、ルイ14世の勅許により開設した「アカデミー・ド・ミュジーク」が起源。71年、ジュ・ド・ポム競技場を改造して建設された劇場で、ペラン作詞、ロベール・カンベールの「ポモーヌ」が上演されてスタート。ペランとカンベールが財政的に失敗した後は、イタリア人ながら帰化してフランス・オペラの改革者といわれるまでになった作曲家リュリの独占的な劇場となった。 1673年からはリュ・サントノーレ(サントノーレ通り)に面したパレ・ロワイヤルに本拠をうつしたが、1763年に焼失した。第1次パレ・ロワイヤル時代の特筆事項としては、ラモーのパレ・ロワイヤルへの登場(1733年)、明快な音楽と日常的題材のイタリア・オペラを擁護するジャン・ジャック・ルソーら百科全書派と、荘重で悲劇的なフランス・オペラをまもろうとするラモーらとの間でくりひろげられた「ブフォン論争」(1752~54年)などがある。 フランス革命後、しばらく低迷するが、グランド・オペラという新しいジャンルのオペラが登場すると、オペラ座はふたたび人気を回復した。マイヤーベーアの「ユグノー教徒」(1836年)などが有名だが、ベルディも「シチリア島の夕べの祈り」(1855年)や「ドン・カルロス」(1867年)をオペラ座のために作曲している。 1875年、オペラ座と付属のパリ・オペラ座バレエ団は、ガルニエ設計による大劇場(パレ・ガルニエ)に本拠をうつし、保守的なレパートリーが中心になったため、委嘱作品の上演数は減少するが、人気はおとろえなかった。 2つの世界大戦間にはフランス中心のプログラムがくまれるが、1945年以降は原語による外国オペラの上演もはじまった。その後、しばらく低調な時期がつづくが、73年、ロルフ・リーバーマンを総監督にむかえてからは、政府からの巨額の助成にたよりながらも、ふたたび高い水準の上演をおこなうようになった。 1989年、バスティーユ広場の西側に、ガラス張りのモダンな新劇場オペラ・バスティーユ(客席数2700)が完成した。これにともない、オペラ公演はバスティーユの新劇場が中心となり、パレ・ガルニエではおもにバレエの上演がおこなわれてきたが、2004年、ジェラール・モルティエが総裁に就任して新風をふきこみ、パレ・ガルニエでもオペラ上演がふえた。
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