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フランス北部の地域圏(レジオン)。南でイルドフランス、北でノールパドカレー、東でシャンパーニュアルデンヌ、西でオートノルマンディの各レジオンに接し、北西部はイギリス海峡にのぞむ。ソンム、エーヌ、オワーズの3県からなり、県都はそれぞれ、アミアン、ラオン、ボーベ。ソンム県都のアミアンがピカルディの中心都市となっている。かつてのピカルディ州は、現在のソンム県全体と、オワーズ県、エーヌ県、ノールパドカレーのパドカレー県の一部にあたり、古くからブロネ、ティエラッシュ、ベルマンデドゥ、アミエノワ、サンテール、ポンチュー、バロワとよばれてきた地方である。面積は1万9399km²。人口は189万人(2007年推計)。
ピカルディはパリ盆地の北の縁にあたる広大な石灰岩の台地で、その北にはアルトワの丘陵、さらにフランドルの平野が広がっている。肥沃(ひよく)なローム層がこの白亜紀の石灰岩台地をあつくおおっている。北部のソンム県のサンテール地方の名称は、よい土を意味するラテン語のサナ・テラ(sana terra)からきている。しかしその北西部のポンチュー地方は、浸食作用によってローム層が部分的にうしなわれているので、さほど肥沃とはいえない。台地にはソンム川やオーティ川が広い谷をつくっている。また海岸までの高低差がないので、川は蛇行し、池や沼地も点在する。アミアン、アブビル、ペロンヌの周辺にはピカルディ独特の湿地野菜畑がつくられている。 南部のオワーズ県のボーベ付近で、台地は南東から北西にかけて細長く陥没している。この窪地は粘土質からなり、牧畜に適しており、この辺りは木々が耕地や牧草地をかこむボカージュとよばれる景観を呈している。南のバロワ地方では、隣接するイルドフランス地方を思わせる風景が広がる。地質は第三紀の堆積層からなり、オワーズ川とその支流が、緑豊かな谷をうがっている。 イギリス海峡に面する海岸部には白亜の断崖(だんがい)がつづいているが、一部のソンム湾沿いに、マルカンテール(陸地にはいりこんだ海)とよばれる海岸平野がある。ノルマンディの海岸からけずりとられた土砂が海流によってはこばれ、ここに沿岸州をつくり、それが平野に成長したもので、内陸に数キロメートルはいった所に昔の海岸の断崖の跡がのこっている。 気候は全般に穏やかで、年降水量は600~800mm、1月の平均気温は3°C、年間70日は氷点下にさがる。しかし西の地域は海風の影響をより強くうけるので、年降水量は800~1200mmに達するものの、逆に冬はしのぎやすく、1月の平均気温は5°Cで、氷点下にさがる日数は40日程度である。
ノール・パ・ド・カレーとイルドフランスという工業の発達した2つのレジオンの間にあって、ピカルディは国内の主要な農業地域としての役割をはたしてきた。機械化、専門化がすすみ、経営規模も平均50ha以上と大きく、高い生産性をほこっている。テンサイ(甜菜)、オオムギ、ジャガイモなど、国内で生産高が第1位を占める作物も多い。イルドフランスに接する南部では穀物の栽培が盛ん。ボカージュ地帯では穀物生産と牛の牧畜の多角的農業がおこなわれている。 19世紀以来工業化されているが、農業にくらべて工業はあまりふるわない。しかしその中にあって、製糖、缶詰、ジャガイモ加工など、豊かな農産物を利用した食品工業が発達している。またこの地域は機械製造と冶金(やきん)の伝統をもつため、アミアン、サンカンタン(エーヌ県)、ボーベでは農業機械の製造もおこなわれている。そのほか、自動車、自動車部品、タイヤの製造もおこなわれる。またボーベ、オワーズ川流域のコンピエーニュやクレイユでは、プラスチック材料、洗浄剤、香水などが製造されている。伝統的な産業としては、北部で繊維産業が発達し、かつては一種の問屋制家内工業が広くおこなわれていた。現在は、中小規模の工場で生産がつづけられている。また南部でおこなわれていた貝ボタンの製造も、第2次世界大戦後の合成素材との競争にやぶれて姿をけしている。第3次産業、とくに観光はふるわない。鉄道も、ユーロトンネルをとおってロンドンにむかう超高速鉄道TGVの駅はレジオン内にわずかに1つあるにすぎない。しかし道路網にはめぐまれ、パリとカレーをむすぶA1などの高速道路がとおっている。
前300年ごろから、この地方には、ベロワキ族(ボーベの語源)、アンビアニ族(アミアンの語源)などのケルト人の部族が居住していた。前57年ローマのカエサルに征服され、その後はローマ帝国の属州ベルギカ・セクンダに併合された。5世紀にフランク人が侵入し、クロービスはソワソンでローマ軍をやぶり、この地を占領した。9世紀、カール大帝の死後、いくつかの貴族領や教会領にわかれたが、フランドル伯の影響下にあった。12世紀以降フランドルと同様に繊維産業が盛んになって大いに繁栄。13世紀、フィリップ2世の時代に、徐々にフランス国王領となった。ピカルディという地名が生まれたのはこのころである。 その後はフランス国内のイギリス領をめぐる両国の争いにまきこまれ、フランス王位継承をめぐる百年戦争の間は両国の軍隊にあらされた。1435年アラスの和約によりブルゴーニュ公フィリップの領土となり、広大なブルゴーニュ公国(→ ブルゴーニュ)の一部となったが、77年ブルゴーニュ公シャルル(豪胆公)の戦死後、ルイ11世によって国王領に併合された。17世紀には、三十年戦争のさなかにフランドルからスペイン人にたびたび侵入され、大きな被害をこうむっている。不安定な国内情勢は経済にも悪影響をおよぼし、好調だった多角農業や繊維産業もしだいにおちこんだ。その後の産業革命の波にも抗しきれず、パリに近いため農村人口の流出にもくるしめられ、さらに20世紀には、2度の世界大戦時にドイツ軍に侵略された。
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