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フランス中部の地域圏(レジオン)。マシフサントラル(中央山地)の中心部を占める。アリエ、カンタル、オート・ロワール、ピュイ・ド・ドームの4県がふくまれ、県都はそれぞれムーラン、オーリャック、ル・ピュイ、クレルモンフェラン。クレルモンフェランがレジオンの中心都市である。かつてのオーベルニュ州は、現在のカンタル県とピュイ・ド・ドーム県のほか、オート・ロワール県、アリエ県、ミディ・ピレネー地域圏のアベロン県の一部を範囲としていた。面積は2万6013km²。人口は133万7000人(2007年推計)。
オーベルニュは、北部のアリエ県をのぞいて、大半がマシフサントラルの山地で、ピュイとよばれる円錐形をした火山の山頂がつらなる景観はこの地方の特徴となっている。オーベルニュの中央をアリエ川が南北に縦断し、北東部と南東部をロワール川が、北西部をシェール川がながれる。 オーベルニュの北部はかつてのブルボネ地方で、ことなった景観をもつ2つの地域からなる。西は木々が家屋や耕地をかこむボカージュで、シェール川とコンブラーユ地方に接する。東は平野で、ロワール川まで広がる。標高1165mのマドレーヌ山地がこの周辺の最高地点である。 中部の西側は、モン・ドーム山地、モン・ドール山地、セザリエ山地などの火山地帯で、モン・ドール山地にオーベルニュの最高峰ピュイドサンシー(1885m)がある。その東側は地溝帯(→ 地溝)になっていて、リマーニュとよばれる。リマーニュとはアリエ川流域の盆地群をさし、ブルボネ地方から南部のオート・ロワール県のブリウド周辺にかけて点在する。おもなものはクレルモンフェラン周辺のリマーニュで、大リマーニュともよばれ、泥灰岩質の土壌の肥沃(ひよく)な盆地である。これらのリマーニュの東側にはフォレ山地、リブラドワ山地などの山地がひかえる。 南部では、西側にカンタルの火山地帯が2500km²にわたって広がり、最高峰は1855mのプロン・デュ・カンタルである。山地からは数多くの川があらゆる方向にながれ、またトリュィエール川、ロット川、ドルドーニュ川は容易に人の近づけない峡谷をうがつ。東側はブレー地方と、低オーベルニュの一部であるブリバドゥワ地方になる。アリエ川とロワール川の流域で、ブリウド盆地やル・ピュイ盆地などの盆地の点在する地方である。 気候は、西部は大西洋の影響をうけた海洋性気候で、冬はきびしく夏はすずしい。年降水量は山地で1000~1500mmである。東部は大陸性気候で、温度の年較差が大きく、降水量はフォレ山地で年間1000~1500mmに達するほかは全般に少ない。リマーニュの夏は暑く、冬は乾燥して寒い。
オーベルニュでは農業が重要な地位を占めている。古くから牧畜が盛んで、農業生産の約80%を占め、山間の台地で放牧が広くおこなわれている。牛の飼育が主で、とくに南東部のオート・ロワール県のイサンジョーなどで盛んである。アリエ県では肉牛のシャローレー種が飼育される。ヒツジの飼育は主として南西部のカンタル県でおこなわれる。また、アリエ川流域のリマーニュの平地は、牧畜だけでなく、コムギ、オオムギ、オートムギなどの穀類の産地となっており、テンサイ(甜菜)やナタネ(菜種)、タバコなども栽培される。オート・ロワール県でも穀類、野菜、果物の生産がみられる。北部では品質のよいブドウからワインがつくられ、リマーニュの斜面でもワインが生産され、「コート・ドーベルニュ」という名で売りだされている。オーベルニュでは畜産物加工業が農業を振興し、地域を活性化している。その代表例が多量の牛乳を必要とするチーズ製造で、フルム・ダンベール、カンタルなど、生産地の名をつけた多くのチーズが生産されている。 工業は食品加工業が中心だが、それ以外の工業もアリエ川流域で発展している。クレルモンフェランのゴム、プラスチック、印刷、リオンのボルビック水、木材、タバコ、薬品、イソワールのアルミニウム、機械、航空機などである。ことにクレルモンフェランは、19世紀末にミシュラン社が設立されてタイヤの製造をはじめて以降、国際的な工業都市に成長している。近年はクレルモンフェラン以外にも地域の工業の中核となる都市が生まれている。北西部のアリエ県シェール川沿いのモンリュソンはレジオン第2の工業都市に成長し、冶金(やきん)、機械、兵器、プラスチックなどの工業が集中している。 観光業も盛んで、モン・ドーム山地、モン・ドール山地からカンタル山地にいたるオーベルニュ火山自然公園や、ティエールからシェーズ・デューにいたるリブラドゥ・フォレ地方自然公園の景観にくわえて、火山岩の中をとおりぬけて豊かな成分をおびたミネラルウォーターや、数多くの温泉もこの地方の魅力となっている。また、オーベルニュの歴史遺産をもとめておとずれる人も多い。クレルモンフェランから6kmのジェルゴビーは、オーベルニュの地名の由来となったケルト人の一部族アルウェルニ族の都であった。また指導者ウェルキンゲトリクスがローマのカエサルをやぶった地でもある。クレルモンフェランやブリウドなどにはロマネスク様式の教会がのこり、モン・ドール山地などにはスキー場もある。
オーベルニュに人類がすみついたのは新石器時代だった。前4世紀ごろケルト人のアルウェルニ族がうつってきて国家を建設した。彼らは中央ガリアの地を広く支配し、進出してきたローマに抵抗をくりかえしたが、前52年、指導者ウェルキンゲトリクスがアレジアの戦で最終的にカエサルにやぶれた。その後オーベルニュはガロ・ロマン時代(ローマによるガリア支配の時代)にキウィタス・アルウェルノルムとしてさかえ、主都はアウグストネメトゥム(現クレルモンフェラン)とさだめられた。5世紀に侵入してきたゲルマン人の西ゴート族(→ ゴート族)の支配下にはいったが、一種の自治はみとめられていた。507年フランク王国メロビング朝のクロービスの手にうつったのち、カロリング朝のピピン3世にわたり、さらにアキテーヌ王国に合併された。10世紀になるとオーベルニュ伯領が成立し、12世紀には王太子領もおかれ、オーベルニュは分割された。このころロマネスク芸術が盛んになり、数多くのすぐれた修道院や教会がたてられた。その後オーベルニュも紆余(うよ)曲折をへて王領地となったが、宗教戦争(→ 宗教改革)やフロンドの乱の際には多大の被害をこうむり、17、18世紀を通じて経済的な発展からとりのこされていった。
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