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  • 古典主義 - Wikipedia

    古典主義 (こてんしゅぎ)は、ヨーロッパでギリシャ・ローマの 古典古代 を理想と考え、その時代の学芸・文化を模範として ... この「 古典主義 」は 美術 ・ 芸術 に関連した 書きかけ項目 です。 この記事を加筆・訂正 などして下さる 協力者を求めています ( P:美術)。

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古典主義(美術)

古典主義 こてんしゅぎ Classicism
百科事典項目
項目構成
I

プロローグ

美術では、17世紀ヨーロッパ、とくにフランスで盛んにおこなわれた様式をいう。古典主義の語は19世紀にあらわれ、最初は1825年ごろ、ロマン主義に対立するものとして、その後75年ごろからはバロックに対立するものとして使用されはじめた。古典主義美術はオランダやイギリスでも同時に展開されたが、限定された使い方として、とくにフランス古典主義をさすことも多い。

II

「古典」の意味と古典主義の理念

古典主義と訳される英語Classicism、フランス語Classicismeは、「最高級の」を意味するラテン語Classicusに由来する。2世紀ごろから、この言葉は模範となるにふさわしいすぐれた作家や作品をさすのにつかわれはじめた。やがて中世の初期から、この形容詞は古代ギリシャ・ローマの遺産にむすびつけて考えられるようになり、古代芸術が称賛と研究の対象となっていく。こうした研究から、この言葉にもうひとつの意味が生じた。それは、古典作家や古典作品は学校でまなぶ対象であり、規範としての価値をもつという意味である。しかしそれによって、古典が伝統をひきついだ形式主義、体制順応主義、保守主義という否定的な意味合いももつようになった。

規範という点で、ルネサンス以降19世紀にいたるまで、ヨーロッパはギリシャ・ローマの古代美術を古典としてたえず意識してきた。ルネサンス期イタリアの画家ジョルジョ・バザーリは著書「芸術家列伝」で古代美術を称賛し、また18世紀ドイツの美術史学者J.J.ウィンケルマンは「ギリシャ美術模倣論」の中で、古代美術の様式展開とその背後にある精神を体系的に論じた。この書は各国語に翻訳されてヨーロッパじゅうに広まり、やがて一つの様式としての古典主義芸術を生むにいたった。

古典主義芸術の理念を端的にいうと、永遠をめざし、合理性によって到達できる美の理想をもとめるということになる。理性によって情熱の無秩序をうちまかそうとしたのである。したがって古典主義を規定する言葉として、明瞭さ、調和、規則、秩序などがあげられる。熟考したうえでの一貫性と、清澄さ、均衡をもとめ、法則や均整を尊重するこの姿勢は、その半面、型にはまった不毛かつ過剰な慎重さを生むことにもなった。

III

フランス古典主義の時代

フランスの古典主義を2つの時代にわける美術史家もいる。第1の時代はイタリアの影響を強くうけたもので、とくに建築作品に特徴がみられ、これは16世紀末から1648年のルイ8世の死までつづいた。アンリ4世と王妃マリー・ド・メディシスの建築家でリュクサンブール宮殿を設計したサロモン・ド・ブロスがこの時代の代表である。第2の時期は、ルイ14世(在位1643~1715)の治世にあたり、絶対王政への肯定とむすびついたスタイルの頂点をきわめた。この時代、フランス古典主義は宗教建築、都市、軍事関連の建築物、彫刻、絵画、装飾美術、庭園といった視覚的芸術だけでなく、文学にも波及した。古典主義(文学)

フランス古典主義は、ギリシャ・ローマの作品、プラトンアリストテレスの美の概念、ウィトルウィウスの「建築十書」などをよりどころとした。そして、ブルネレスキアルベルティブラマンテラファエロ、バザーリ、サンソビーノ、パラディオなどイタリア・ルネサンスの偉大な美術家や建築家たちの影響をうけていた。美術家たちは、ル・ブランの権限のもと、王立アカデミーの枠内で規則をさだめ、芸術分野に序列をつけるようになった。この古典主義は王の庇護と切りはなしては考えられず、フランソワ1世以来、リシュリューコルベールなどの支配のもとで「高貴な趣味」の範をしめし、王と王国の威光をたもつ公的芸術を生みだした。

IV

古典主義とバロック

古典主義の建築は、荘重な直交性をみちびく直線、シンメトリー、幾何学的厳密さ、プラン(平面)と外観の簡素さを志向した。装飾的効果をもとめ、曲線、動きを感じさせる形態をこのんだバロック建築とは対照的である。古典主義彫刻もまた、簡素で優美、ときにはある種の荘厳さをそなえた姿勢を最高のものと評価し、バロックの動きや官能性、誇張を否定した。絵画は高貴な主題をえらび、色彩や感覚の誘惑をしりぞけ、構図と素描をあくまで重視した。緑の芝、象徴的な花壇、直線にかりこまれた灌木(かんぼく)、幾何学的形態の池と噴水を配置した庭園は、人間に支配され従属する自然を如実にあらわしている。

しかし、17世紀のフランスがすべてこの理想的かつ規範的な古典主義にしたがっていたかというとそうではない。ルイ14世の治世の前、14世の母后で摂政のアンヌ・ドートリッシュとその第1宰相であるイタリア生まれのマザランの影響で、フランスはバロックの傾向をうけいれやすくなっていた。多くの美術家がイタリアへ留学し、宮廷はアルプスのかなたの巨匠を招聘(しょうへい)した。1665年、コルベールはルーブル宮殿にベルニーニを招待した。ル・ナン兄弟ジョルジュ・ド・ラ・トゥールの絵画作品、ピエール・ピュジェの彫刻などにはバロックの影響がみられる。ふつう、ベルニーニのルーブル宮殿の改造計画が頓挫した67年を古典主義の勝利への転換点とするが、宮廷の饗宴や荘重な葬儀、ベルサイユ宮殿の装飾をはじめ、音楽の分野にもバロック趣味が生きのびたことは確かである。

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