検索ビュー 阿弥陀仏

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阿弥陀仏
I. プロローグ

帽子を「阿弥陀にかぶる」とか「阿弥陀くじ」などの言葉で、阿弥陀の名はひろく知られているが、もとは仏教の仏のことである。阿弥陀とはサンスクリットのamitaの音をうつした言葉。漢語ではその意味をとって「無量寿」「無量光」などと訳された。かぎりない生命、はかり知れない光明をもつ仏という意味である。

阿弥陀仏の起源についてはまだ定説をえていないが、ゾロアスター教の光明神アフラ・マズダとする説のほか、ヒンドゥー教やベーダ神話、仏教の神話、あるいは古代からの仏陀観の変遷などの中にその起原をもとめる説がある。

II. 阿弥陀信仰

阿弥陀仏の名はいろいろな経典に登場し、大乗仏教圏(中国・朝鮮・日本)ではもっとも多くの人々の信仰をあつめているが、この信仰をひろめたのは阿弥陀仏とその浄土である極楽について記した「無量寿経」「観無量寿経」「阿弥陀経」で、これを「浄土三部経」という。

「無量寿経」によれば、はるか遠い昔、道心堅固な国王が出家して法蔵菩薩(ぼさつ)と名のり、とほうもなく長い時間をかけてあらゆる仏の浄土をくわしく観察し、自分でも48の願をたてて衆生を救済することをちかった。その第18番目の願に、すべての衆生が「阿弥陀仏」の名をきいて、心から名号をとなえ浄土に生まれたいとのぞめば、かならず浄土に往生できるというのがあり、阿弥陀仏の名号をとなえれば往生できる(念仏往生)という思想の根拠となった。

法蔵菩薩は五劫思惟(ごこうしゆい:ひじょうに長い時間にわたって思索をこらすこと)の行をへて、願を成就し阿弥陀仏となって西方十万億仏土をへだてたところに「極楽浄土」を建設し、現在も説法していると説いている。また、「無量寿経」には極楽浄土の様子が細かく具体的に描写されている。

III. 中国への伝来

阿弥陀仏の信仰が中国にはいったのは後漢の時代で、「無量寿経」の翻訳もこのころ完成された。それまでの仏教は自力信仰であったのに対し、他力信仰がはいってきたことは、思想史的にも画期的出来事であった。中国の思想的背景としては、後漢時代の政治を支配していた儒教がおとろえ、かわって道家思想が台頭してきたところに、阿弥陀信仰が流入したと考えられている。南北朝にはいると、慧遠が白蓮社(びゃくれんしゃ)を結成して念仏をすすめた。唐代には善導によって専修(せんじゅ)念仏が説かれ、中国における阿弥陀仏信仰が確立した。

IV. 日本への伝来

日本へは、焼失した法隆寺金堂6号壁に「阿弥陀浄土図」がえがかれていたことから、仏教伝来とほとんど同時に、阿弥陀信仰はつたえられていたと思われる。平安時代には、空海が唐からもちかえった「両界曼荼羅(まんだら)」(曼荼羅)の中に阿弥陀像はえがかれているし、天台宗では円仁が中国の天台山でまなんできた引声(いんぜい)念仏の中にすでにその名はふくまれていた。

しかし、阿弥陀仏に対する信仰が一般化するのは、源信の「往生要集」以後である。源信は具体的に表現された地獄・極楽思想によって、この世のはかなさを説き、一心に念仏すれば、臨終のときに阿弥陀仏が二十五菩薩をしたがえてむかえにくるとおしえた。これによって平安時代の貴族の間には、来迎思想が生まれた。鎌倉時代の初期には、法然がでて、専修念仏の教えを説いて、念仏は宮中から庶民まで幅ひろい信仰を獲得することとなった。ついで親鸞は専修念仏をさらに徹底させた称名(しょうみょう)念仏をとなえて、阿弥陀仏信仰を確立させた。

阿弥陀仏信仰はアジア各地にみられるが、日本ではとくに盛んである。

極楽:念仏:仏