| 阿弥陀仏 | 項目ビュー | ||||
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| IV. | 日本への伝来 |
日本へは、焼失した法隆寺金堂6号壁に「阿弥陀浄土図」がえがかれていたことから、仏教伝来とほとんど同時に、阿弥陀信仰はつたえられていたと思われる。平安時代には、空海が唐からもちかえった「両界曼荼羅(まんだら)」(→ 曼荼羅)の中に阿弥陀像はえがかれているし、天台宗では円仁が中国の天台山でまなんできた引声(いんぜい)念仏の中にすでにその名はふくまれていた。
しかし、阿弥陀仏に対する信仰が一般化するのは、源信の「往生要集」以後である。源信は具体的に表現された地獄・極楽思想によって、この世のはかなさを説き、一心に念仏すれば、臨終のときに阿弥陀仏が二十五菩薩をしたがえてむかえにくるとおしえた。これによって平安時代の貴族の間には、来迎思想が生まれた。鎌倉時代の初期には、法然がでて、専修念仏の教えを説いて、念仏は宮中から庶民まで幅ひろい信仰を獲得することとなった。ついで親鸞は専修念仏をさらに徹底させた称名(しょうみょう)念仏をとなえて、阿弥陀仏信仰を確立させた。
阿弥陀仏信仰はアジア各地にみられるが、日本ではとくに盛んである。
→ 極楽:念仏:仏