| 江戸 | 項目ビュー | ||||
| 印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。 | |||||
| II. | 城下町江戸の成立 |
扇谷(おうぎがやつ)上杉氏の執事であった太田道灌の手により、桜田郷の台地上に江戸城が完成したのが1457年(長禄元)で、江戸城東側の平川(ひらかわ)の河口に集落もつくられ、市もたつようになった。しかし、このころはまだ民家100軒ほどの規模だったと考えられる。戦国期には、後北条氏の勢力下に入り、城代として遠山氏が江戸城をまもった。
1590年(天正18)小田原攻めにより後北条氏が豊臣秀吉にほろぼされると、関東8カ国は徳川家康にあたえられ、江戸城を本拠地とすることになる。家康は、のち山の手とよばれるようになる麹町、神田台周辺に家臣の屋敷地をもうける一方、江戸城東南部の海岸や低湿地の宅地化をすすめ、町人町をつくった。とくに江戸城まで道三堀(どうさんぼり)を開削し、物資の輸送路を確保するとともに、堀にそって最初の町人町である船町、四日市町、材木町、柳町を開いた。さらに江戸城の西の丸築造にともない、92年(文禄元)から日比谷入り江の埋め立てを開始し、城下を拡大した。
関ヶ原の戦(1600)後、江戸に屋敷をもうける大名もふえるが、1603年に将軍に就任した家康は、全国の主要な大名に「天下普請(てんかぶしん)」を命じ、神田山の台地を切りくずし、豊島(としま)の洲崎(すざき)をうめたてさせ、日本橋以南に広大な町人町を造成した。町人町は整然とした碁盤の目状に区画され、縦横に掘割がのびて水上交通による物資輸送が容易になり、荷揚げ場の河岸(かし)が各所につくられた。日本橋周辺が商業地として都市的発展をとげ、東海道をはじめ主要街道の起点になった。寛永年間(1624~44)には、こうした市街地に約300の町が成立したが、これらはのちの町割(まちわり)で新たに成立する町と区別して古町(こちょう)とよばれた。