| 遣唐使 | 項目ビュー | ||||
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| III. | 多くの犠牲者を出した航海 |
遣使には、航行ルートの関係から多くの犠牲をともなった。朝鮮半島西岸を沿岸航行する北路は比較的安全だったが、新羅との政治的な対立のため、ごく初期をのぞき、五島列島から東シナ海を横断する南路か、奄美大島や沖縄などの南西諸島から東シナ海を横断する南島路をとった。季節風の知識もじゅうぶんではないため季節をえらばず、また海流をのりきれるだけの船体構造の知識もなかった。逆風や強い海流のため難破漂流し、死者・行方不明者が続出した。往復とも無事だったのは、およそ半分と考えられる。894年(寛平6)遣唐使となった菅原道真は、唐の衰退と航海の危険を理由に遣唐使の一時停止を提案し、ゆるされた。その後唐はほろび、遣唐使も廃止された。