御霊信仰
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御霊信仰
III. 神泉苑御霊会

もとは、民衆の漠然とした畏怖(いふ)にもとづいておこなわれていた御霊会だったが、863年(貞観5)5月20日、疫病の猛威がおさまらないため、朝廷の主催で神泉苑御霊会がおこなわれる。

このときまつられた御霊は、崇道(すどう)天皇すなわち桓武天皇の弟早良(さわら)親王・伊予(いよ)親王(桓武の皇子)・藤原夫人(吉子、桓武の妃、伊予親王母)・橘逸勢・文室宮田麻呂(ふんやのみやたまろ)らで、みな政治的抗争の犠牲者であるという共通点をもつ。

祭儀としては、まず僧侶による仏教経典の講説があり、宮廷の楽人や良家の稚児による音楽や舞によって怨霊を慰撫(いぶ)しようというものであった。この神仏習合的な儀式や華やかな歌舞の競い合いは、御霊会が伝統的な国家祭祀(さいし)とは系統を別にする民衆の狂信的衝動から発生したことを裏づける。