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冊封体制

近代以前の中国と近隣諸国との主従関係。起源は漢代にまでさかのぼり、清末に君主制が消滅するまで存続した。本来、冊封とは中国内で皇帝が王族や諸侯に爵位をあたえて封じる、つまり土地をあたえることをさしたが、これを対外的にももちいたのである。

近隣諸国の君主は、冊封されると次のような義務をおった。(1)中国皇帝に対して臣下の礼をとり、定期的に朝貢(ちょうこう)する、(2)中国皇帝から要請があった場合は兵を派遣する、(3)中国へ派遣されるいかなる国の使者をも、途中で妨害してはならない、などである。いっぽう冊封された国は、外敵に攻撃されたときには、中国皇帝によってまもられるという見返りをあたえられた。中国は、こうしたとりきめによって、皇帝を宗主とする主従関係を近隣諸国との間にむすんだのである。

高句麗や百済、新羅、南越(なんえつ)といった諸国が冊封体制にくみこまれたほか、邪馬台国の女王卑弥呼が、三国時代の魏より「親魏倭王」という称号のはいった金印をあたえられて冊封され、また、室町時代に足利義満は明の永楽帝から「日本国王」に冊封されている。