菅原道真
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菅原道真
III. 文人、学者としての業績

そもそも文章博士であり、文人としても学者としても道真は当時の最高峰の人物であった。史書編纂においては、宇多天皇の命を奉じて「類聚国史」(892)を編述し、また、六国史の最後にあたる「日本三代実録」(901)の編纂事業にも大きくかかわった。

文人としては、まず「菅家文草(かんけぶんぞう)」12巻(900年成立)と「菅家後集」1巻(903年成立)にまとめられた比類ない漢詩文がある。道真の漢詩は純粋に唐風のものではなく、国風文化勃興(ぼっこう)を背景に和臭をおびた独自の格調高い詩風をもっている。和歌にもすぐれ、「古今和歌集」以下の勅撰集に34首がとられている。大宰府配流のおりに詠(よ)んだとされる「こち(東風)ふかばにほひおこせよ梅の花あるじなしとて春な忘れそ」(「拾遺和歌集」)はとくに有名であり、のちに飛梅伝説を生みだした。また、百人一首にも「このたびは幣(ぬさ)もとりあへず手向山もみぢのにしき神のまにまに」がとられている。