太平洋戦争
印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。
太平洋戦争
IV. 日本占領下の東南アジア

日本はこの戦争の目的を、欧米諸国の支配からアジアを解放し、共存共栄の大東亜共栄圏をつくりあげることだとして、1943年にはビルマやフィリピンの独立政府を承認したが、その実権は日本の手中にあった。占領地域では、石油・ゴム・ボーキサイトなどの資源を強引に調達し、現地住民を土木工事などにあたらせたほか、神社参拝の強制などをすすめたため、しだいに反日気運が高まった。とくにシンガポールやフィリピンでは、日本軍は多数の住民を殺害するなど残虐行為をおこなったため、抗日運動が各地にひろがっていった。

いっぽう日本国内では、政府・軍部による戦時国家体制が確立された。1942年に東条内閣の翼賛選挙により翼賛政治会が発足、また大日本言論報国会が結成され、きびしい言論・思想統制がおこなわれた。戦争がはげしくなると、あらゆる生産能力が軍需目的にむけられ、生活物資が不足し、「ぜいたくは敵だ」「欲しがりません勝つまでは」などの標語に象徴されるように国民は耐乏生活をしいられた。日本の敗色が濃厚になった44年ごろからは学童疎開もはじまった。いっぽう、労働力不足をおぎなうため、勤労動員によって学生たちが軍需工場などにかりだされたほか、占領地域から多数の朝鮮人や中国人を強制連行し、鉱山・港湾などで重労働に従事させた。朝鮮に対しては44年から徴兵制を適用、日本人に同化させる政策を強化し、日本語の使用や、日本的家制度を導入するとともに、氏名を日本風にするなどを強制した。43年には学徒出陣もはじまった。