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天神信仰
I. プロローグ

菅原道真を天満天神として祈願の対象とする信仰。

II. 天神

「天神」とは、もともと中国で天界にいる神をいい、日本では、記紀神話(古事記:日本書紀)の天(あま)つ神にあてられたほか、中国風に天神や雷神をまつる風習も各地におこった。いっぽう、平安時代には、疫病流行などの不吉な現象の原因を、政治抗争に敗れ、うらんで死んでいった人々の怨霊の仕業と考えて、それらをまつる御霊信仰も盛んになった。

III. 菅原道真
1. 怨霊

903年(延喜3)に左遷先の大宰府で没した菅原道真(敬称で菅公とよぶ)も、その直後に怨霊となって、政敵を落雷で殺し、疫病・干魃(かんばつ)をおこしたと考えられ、それまでの天神・雷神のイメージと重ねあわされて、大宰府や京都の北野にまつられた。

「天満天神」「天満大自在天神」「大威徳天神」「火雷天神」などの神名は、いずれも仏教によって、道真の霊威をおそれてつけられたものである。

2. 農耕信仰

その反面、天神は冤罪(えんざい)になげく弱者をたすける慈悲深い神ともされて、本地垂迹説(神仏習合)では、十一面観音(観音)が本地とされた。また、天神・雷神は、雨ごいや豊作祈願の対象でもあったので、農村の農耕信仰とも習合して展開することになる。

3. 学問・芸道の神

道真は、生前の人柄から、正直や孝行をよろこぶ神とも考えられ、それが発展して、起請(きしょう)の神ともされた。また、一流の学者であったことから、学問や芸道の神としても崇拝された。室町時代からは、和歌の神・書道の神という信仰も盛んになり、北野天満宮では、神前での連歌(れんが)の会合がもよおされた。

IV. 禅宗による信仰

天神を詩文の神とする信仰は、禅宗の僧侶(とくに五山僧)たちにも受容され、渡唐(ととう)天神が考えだされる。実際には、中国にわたったことのなかった道真ではあるが、天神としては1241年(仁治2)に宋(そう)にわたり、径山(きんざん)の無準(ぶじゅん)に参禅して印可(いんか:悟りをひらいた印)をえたとされ、梅の小枝を手に唐衣(からころも)をまとう中国風な天神の画像をえがき、礼拝の対象とした。

このほか、綱敷(つなしき)天神・水鏡(すいきょう)天神・飛梅(ひばい)天神など、さまざまな伝承にもとづく天神像がえがかれた。

V. 江戸以後

江戸時代には、道真の伝記や物語がたくさんつくられ、浄瑠璃の「天神記」(近松門左衛門作)や歌舞伎の「菅原伝授手習鑑」(竹田出雲ら作)などが上演されたことにより、天神信仰はいっそうひろまった。また、寺子屋教育の普及によって、庶民の子供たちにも、手習い(習字)の神として崇敬された。

今日でも、学問の神とするのが一般的で、とくに受験のシーズンには合格祈願の神として多くの参詣(さんけい)者をあつめている。

天満宮