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土器
I. プロローグ

粘土をこねて形をつくり、乾燥させて焼きあげた、釉薬をかけない素焼きの容器。

食物を煮炊きし、飲み水を冷たくたもつことができる土器の誕生によって、食生活はより安全に、豊かになった。イギリスの考古学者チャイルドが指摘したように、土器とは、人類が化学変化を道具作りに応用した最初の革命的な出来事であった。

土器の多くは窯をつかわず、野焼き(たき火)の開放炎で焼かれる。焼成時間は1~5時間前後と短く、焼成温度も650~950°C未満で陶器や磁器(陶磁器)にくらべて低い。粘土にふくまれる石英などの鉱物がとけてガラス化するまでにはいたらないが、火熱によってある程度変成・収縮し、水にもとけず火にかけてももえないかたい物質が生まれる。

土器には日本の縄文土器、弥生土器(やよいどき)、土師器(はじき)、沖縄八重山のパナリ焼、中国や西アジアの彩文土器、南太平洋のラピタ土器など、時代と地域によって数多くの種類・様式がある。古代中国には、表面を貝殻でみがいてから真っ黒にいぶし焼きした「黒陶」や、鉄分のきわめて少ない白い粘土でつくった「白陶」、赤や黒の顔料で文様をえがいて焼きあげた「彩陶」とよばれる土器もあった。日本では土器は「かわらけ」ともよばれ、古い神社では神饌の容器として今もつくられ、つかわれている。東南アジアや南アジア、パプア(ニューギニア島)、中南米、アフリカなどには、今でも土器をつくり、つかいつづけている村も多い。

II. 土器の起源

土器がつくられる以前を先土器時代というが、そのような時代にも、大型の木の実の殻(から)や大型鳥の卵殻、獣皮の皮袋や胃袋などを利用して多様な容器がつくられていた。樹皮や蔓(つる)や草をあんだ、さまざまな形と文様の籠類も発達していた。細かくあんだ籠の内側に粘土をぬりこめると、水もれしにくい容器ができる。それが火事で焼け、偶然に土器が発明されたという説もある。チェコでは2万7000年前の遺跡から、地母神像(土偶)やそれを焼いた炉(窯)の跡が出土し、粘土でつくられたぶあつい炉壁は土器のように焼きしまっていたという。

土器の発明によって、はじめてやわらかい食物とスープが生まれ、いくつもの素材のうまみがとけあう「味覚の革命」がおこったという説がある。しかし、先土器時代にも岩のくぼみや皮袋に水と食物をいれ、焼け石をほうりこんで沸騰させる調理法はあった。むしろこうした単発的な煮炊きの経験によってやわらかい肉やおいしいスープの味を知っていた人類が、いつでも食べられるように工夫を重ね、ついには土器を発明したと考えたほうが矛盾はない。

長い間、土器は世界各地の古代文明の発祥地でほぼ同時に発生したと考えられていた。しかし、日本列島の各地やロシアの沿海州、アムール川下流域、中国黒竜江省などから1万2000年以上も前の世界でもっとも古い土器が次々に出土し、土器の起源が東アジア東北部らしいことがわかってきた。今後、他の地域からさらに古い時代の土器が出る可能性もないとはいえないが、縄文土器は世界史上もっともはやく出現したもののひとつであり、その造形の確かさ、表現の豊かさ、力強さにおいて、世界に誇りうる美の宝であることはまちがいないだろう。

III. 日本の土器

土器は時代や場所、用途によって形や文様、大きさがかわるので、出土する土器や土器片は、遺跡の年代や性格を推定する手がかりになるなど、考古学や歴史を研究するうえで重要な資料になっている。また、縄文土器のだいたんな造形美、弥生土器のシンプルな機能美など、古代土器の美的価値は近年ますます評価が高まっている。

1. 縄文土器

縄文土器は、縄文時代に製作・使用された土器で、明治初年、アメリカの動物学者エドワード・モースが、大森貝塚の調査で出土した土器に縄目の文様が多かったことからcord marked pottery(縄目文様の土器)と記録。縄文土器という言葉はその訳語から生まれた。縄文土器には縄文(縄目文様)をもたず、棒や篠竹(しのだけ)で線刻したり、粘土紐(ひも)をはりつけたりして文様をつけた土器もあり、一般に縄文土器といえば、縄文時代につかわれていた土器を意味する。形態や文様は年代や地域によってバラエティにとみ、考古学では遺跡の年代を決定する重要な指標となっている。

縄文時代草創期~早期の土器は、ほぼ例外なく食物を煮るための深鍋(ふかなべ)であり、口径より器高のほうが大きい深鉢(ふかばち)であった。前期には盛り器としての浅鉢が登場する。それまで木製容器や葉の椀(わん)などにとりわけていたのが浅鉢に盛りつけられ、料理は視覚的な美も重要になった。縄文文化が隆盛をきわめた中期には土器文化もめざましい発展をとげ、火炎土器(馬高遺跡)など造形的にも頂点に達するものが生まれた。器種もふえ、食器や貯蔵容器以外の祭祀(さいし)用土器、埋葬用の甕棺(甕棺墓)など、さまざまな用途と器形の土器が生まれた。

後期~晩期の縄文土器は中期の文化を継承しながら、用途不明のさまざまな祭祀具や、香炉形土器、急須(きゅうす)や土瓶(どびん)にそっくりな注口土器(ちゅうこうどき)などもつくられた。晩期の東日本には亀ヶ岡式土器(亀ヶ岡遺跡)に代表される薄手で精巧な磨研土器が完成。縄文土器としての爛熟期(らんじゅくき)をむかえるが、渡来人のもたらした水稲農耕文化(稲作)の広がりとともに、弥生土器にとってかわられていく。

2. 弥生土器

弥生土器は、弥生時代につくられ、つかわれた土器で、明治初期、東京府本郷弥生町(現在の東京都文京区弥生)で出土した土器にちなんでこの名がついた。ろくろも窯も使用しない点では縄文土器と共通するが、おそらく、ろくろの前段階の回転台をもちいた均整のとれた器形や、当て石と叩(たた)き板をつかった叩き技法など、製作技術の発達は細部におよんでいる。年代は前5世紀~後3世紀ごろまでとされ、前期・中期・後期に大きく区分される。

弥生土器は、使い勝手や作りやすさを優先し、誇張した表現や必要以上の装飾を極力はぶいた簡素な形をしている。神話的・宗教的な意味をもっていたであろう縄文土器の造形思考とは対極にあるようにみえる。ただし、東日本では縄文土器の特徴を色濃くのこした複雑な器形と装飾の土器が多く、東北地方の弥生土器には専門家でも縄文土器と判別しにくいものもある。弥生文化

3. 続縄文土器

東北地方北部と北海道には弥生時代や古墳時代はなかった。九州、四国、本州に弥生文化が広がっても、生活基盤は採集・漁労・狩猟と雑穀栽培、交易にあったため、この時代を本州の弥生・古墳時代と区別して続縄文時代とよび、東北地方の弥生土器の影響を強くうけたこの時代の土器を続縄文土器とよぶ。続縄文文化

4. 土師器

弥生土器と外見や機能にあまり違いはないが、古墳時代から奈良~平安時代にかけての赤褐色の土器を土師器とよぶ。それまで縄文土器の特徴が根強くのこされていた東北地方でも、この時代になるとほぼ西日本と共通するような形態の土器も使用されるようになった。

北海道でも土師器の影響をうけて刷毛目(はけめ)のような擦痕(さっこん)のある擦文土器がつくられ、その時代を擦文時代とよぶ。擦文文化

5. 須恵器

5世紀中ごろになると、朝鮮半島南部から渡来した技術者集団の手で、窯をつかって高温で焼く、青灰色のかたい須恵器がつくられた。窖窯(あながま)という斜面にしつらえたトンネルのような原始的な窯で、1000~1100°C前後の高温で焼きしめられるため、それまでの土器よりじょうぶでわれにくい。ただ、急熱急冷には弱く、直火(じかび)にかけるとわれるので煮炊きにはつかえない。窯作りから焼成まで手間と時間がかかり、高温に達するまで薪も大量に消費するので、コストが高く、庶民の日常生活にはつかえなかった。古墳の副葬品などにもちいられたほか、大型のものが豪族の水甕や酒甕に利用された。窯跡

6. 南琉球の土器

沖縄の八重山、宮古など先島諸島は古代には日本列島の文化圏ではなく、縄文文化や弥生文化は波及しなかった。土器は厚手で文様のないものが多く、ルソン島など東南アジアの先史文化に近いと考えられているが、具体的な関連についてはまだわかっていない。八重山列島では、琉球王国時代も新城島(あらぐすくじま。琉球語名パナリ)でつくられたパナリ焼など、低温で焼成した土器を使用していた。

IV. 土器の製作技術
1. 胎土の調整

野焼きの温度変化の急激さ、不安定さは、時間をかけて少しずつ温度が上がっていく窯とは比べものにならない。急熱急冷にたえ、しかも焼成後は調理のため火にかけての使用にたえる土が必要であった。縄文時代中期の東北地方南部の土器片の土を分析すると、粘土に2~3割の砂を混入している。そうすると粘性は低下するが乾燥ははやくなり、収縮によるひび割れをふせぐ効果がある。入念な練りの過程であらい石粒などをとりのぞき、空気をおいだした土は、乾燥しないようぬれた布でつつみ、冷暗所で一定期間ねかせる。こうするとバクテリアなどの働きで可塑性や粘性がまし、あつかいやすくなる。

2. 成形

粘土をこねて土器の形をつくる方法には、大別して手作りと、ろくろ成形とがある。手作りのなかにも、粘土塊を手でこねあげて成形する手づくね技法、肘(ひじ)や膝(ひざ)、石などの型をつくり内や外に粘土をおしつけて成形する型押し技法、粘土紐をつくってつみあげる巻き上げ、輪積み技法などがある。厚みの調整や細部の仕上げのための削りの技法や叩き技法も用途によって併用される。縄文土器の成形はほとんどが輪積み技法である。

3. 文様と装飾

土器の文様は、爪(つめ)や棒や貝殻、撚(よ)った紐(撚紐:よりひも)などをおしつけたり、線描きしたり、粘土粒や粘土紐をはりつけたりと、さまざまな種類がある。縄文土器の名の由来でもある縄目の文様は、成形して半日~1日ほどおいた生乾きの器壁に、植物繊維を撚りあわせてつくった紐や糸をおしつけたり、ころがしたりしてつける。組紐や棒にまきつけた撚紐、綾杉文(あやすぎもん)を彫刻した棒をころがすなどの技法もある。紐の右撚りと左撚りの組み合わせや、撚り合わせ回数、粗密によってかぞえきれないほどの文様の変化があり、細い竹筒や貝殻をおしつけたり、粘土紐をはりつけた文様も多い。縄文土器の文様・装飾は、縄文人の世界観や神話、呪術などをも表現するために特殊な発達をとげたものと考えられる。また、水甕など液体を貯蔵したり煮炊きにつかう土器は、水漏れをふせぐために、生乾きのときに内側をハマグリなどの貝殻や小石でみがきこんでから乾燥し、焼く。

4. 焼成

土器は風通しのよい日陰で1カ月ほど乾燥してから焼く。縄文土器や弥生土器の場合は地面でそのまま野焼きし、土師器の場合は風よけのため、地面をほりくぼめた中で焼いたという。縄文土器の野焼きは、天候の安定する春か秋口の風のないよく晴れた日におこなわれる。火をたいた周りに乾燥した土器をならべ、1時間ほど空だきして大量の熾火(おきび)と灰をつくる。その中でときどきひっくりかえしながら1~2時間じゅうぶんに過熱したら薪で全体をおおい、土器が赤熱するまで1~2時間焼く。