古墳時代
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古墳時代
III. 政治的な時代背景

弥生時代後期の邪馬台国は小国家連合体であったと思われ、それぞれの小国家の首長層の墓が、墳丘墓としてつくられた。これらの国家連合体をさらに統合していくのが大和政権という強大な勢力である。この首長層の墓が前方後円墳で、初期の前方後円墳が奈良盆地東南の纏向遺跡近辺に集中していることから、この地が初期大和政権の中心地と推定されている。

その後、大和政権が全国に権力を拡大する過程で、前方後円墳が伝播(でんぱ)していく。大王(おおきみ:のちの天皇)家はその後、大阪湾岸に移動したため、4世紀末から5世紀の巨大古墳が大阪堺、羽曳野(はびきの)近辺に多数つくられたのである。646年(大化2)に大化薄葬令が発布され、大王家周辺の皇族だけに古墳造営が限定されたことと、仏教伝来による火葬風習の定着が、古墳の衰退へとつながった。