| ゴールドラッシュ | 項目ビュー | ||||
| 印刷するには、[ファイル] メニューの [印刷] をクリックします。 | |||||
| II. | 北アメリカのゴールドラッシュ |
19世紀後半にアメリカ西部の開拓は急速にすすんだが、東部の場合とはことなり、ロッキー山脈の西部やその東部大平原での開発は罠(わな)猟師や開拓農民に先だって、鉱山開拓者や放牧業者、鉄道業者がおこない、開拓の前進基地として独特のフロンティア社会をきずいた。とくに金の採掘者や鉱山業者は、西部開発の先兵として、人の流れに弾みをつけ、それまでと逆の西から東へのフロンティア・ラインの東漸運動をうながした。→ フロンティアとフロンティア・スピリット
| 1. | カリフォルニアで金鉱発見 |
1848年1月、カリフォルニアのサクラメント近郊のアメリカン川で、製材所を建設中の大工ジェームズ・マーシャルが砂金を発見した。この知らせはまたたく間に近郊一帯に広まり、続々と人々が金探しにおしよせた。そのためサンフランシスコは一時的にゴーストタウンと化した。
まもなく、金発見の知らせに全米から一攫千金を夢みる人々がおしよせた。1848年12月の年次教書でポーク大統領が金発見のニュースにふれたことで、ブームにいっそうの拍車がかかり、ホーン岬周りでマゼラン海峡をとおるルートや、パナマまで船でゆきパナマ地峡を陸路横断して海路カリフォルニアにいたるルートのほか、幌馬車でロッキー山脈をこえるルートで多くの人が殺到した。また、メキシコはもちろん、遠く中国やオーストラリアからも「金の山」をめざして人々がやってきた。
| 2. | フォーティ・ナイナーズ |
カリフォルニアに金探しにあつまった人々をはじめ、商人、売春婦、宿屋、金融業者などは、フォーティ・ナイナーズ(1849年の人々)とよばれた。男女比が12:1という圧倒的な男性社会であり、無法者や無頼(ぶらい)漢も多かったが、自然発生的な民主主義の支配する多数の鉱山町が建設された。カリフォルニアの人口は1万数千人から1849年末に9万人、52年までに22万人へと増加した。ブームは年間金産出量が頂点に達した52年(約8100万t)を境におとろえたが、その後も多くの人が農民や商人としてカリフォルニアに残留し、都市の発展に寄与した。
カリフォルニアのゴールドラッシュは、1850年に自由州として連邦加入を実現した。しかし、これは奴隷制問題をめぐる南部と北部による「1850年の妥協」(→ アメリカ合衆国の「1850年の妥協」)の産物でもあり、南北対立に影響をおよぼしたともいえる。また、ゴールドラッシュによるカリフォルニアの発展は、大陸横断鉄道の太平洋岸からの建設をもうながし、アメリカ経済の躍進をもたらした。
19世紀後半、カリフォルニアのゴールドラッシュと同じような例が西部各地で生じた。当初、カリフォルニアでは簡単な道具だけで川底から容易に金が採取できた。しかし、しだいに大規模な採掘が必要となり、金採掘には坑道をつくったりする資本と労働力が必要となったから、つるはしと洗い鍋(なべ)をロバにつむだけの採掘者たちは、金銀をもとめて西部の山岳地帯や砂漠地帯にはいりこんでいった。
| 3. | コロラドとネバダ |
まず1858年、コロラドのサウスプラット川で金鉱がみつかりデンバーを中心に、フォーティ・ナイナーズを彷彿(ほうふつ)とさせるゴールドラッシュがおこった。さらに翌59年にも豊かな金鉱脈が発見され、セントラル・シティという大規模な鉱山町が建設された。同年、ネバダのカーソン川近くでも金銀鉱脈が発見された。カムストック鉱山が開かれ、バージニア・シティを中心にカリフォルニアとの道が開かれ発展した。人口集中により61年にネバダは準州となった。この年には、のち作家として名をなすマーク・トウェーンも金銀をもとめてネバダへやってきている。現在ネバダ州内には200ものゴースト・タウンがのこっている。
その後ゴールドラッシュは、モンタナ(1863)、ワイオミング(1867)、ダコタ(1874)とつづくが、南北戦争(1861~65)期を境に東部資本が金採掘に本格的に参入し、個人の採掘者はしだいに賃金労働者に転落、ロマンにあふれたフロンティアの成功物語は過去のものとなっていった。
| 4. | ブラックヒルズ |
1874年に発見されたダコタのブラックヒルズ地域でのゴールドラッシュは、アメリカ先住民と白人の関係を象徴する出来事だった。アメリカ政府はブラックヒルズ一帯に居住するスー族と協定をむすび、保留地として保護を約束していた。金発見後、はじめ政府はカスター将軍の第7騎兵隊に警戒させていたが、白人採掘者たちが警戒線を突破して次々と保留地内で採掘をはじめた。多くの採掘者がブラックヒルズに侵入して手におえなくなると政府は、土地の放棄をスー族にせまった。スー族は武力抵抗をおこなったが、90年のウーンデッド・ニーでの虐殺を最後に力でねじふせられた。
| 5. | カナダ |
1858年、カナダ南西部のフレーザー川流域とカリブー山脈(現ブリティッシュコロンビア州)で金が発見され、この一帯でのゴールドラッシュがはじまった。サンフランシスコから鉱山採掘者たちが群れをなして北上してきたため、中心だったバーカービルの町は最盛期に2万5000の人口を数えた。
1869年にはアラスカに近いユーコン川流域で金がみつかり、96年にはユーコン川の支流であるクロンダイク川上流のボナンザ・クリークで豊富な金が発見された。シアトルでこの話が広まると、翌年には大規模なゴールドラッシュがおこった(→ クロンダイク)。全盛期の1900年には、2200万ドル以上に相当する金がこの一帯の川から採取されているが、その後、金の産出は急速におちこんだ。
| 6. | アラスカ |
ゴールドラッシュによってカナダ西部地域は大きく発展したが、アラスカも事情は同じだった。1880年代にはじめて金がみつかり、またクロンダイクへの通り道としても発展する。90年代末にノームで金鉱が発見されると、20世紀にはいって、フェアバンクス(1902)を中心に金鉱が次々と発見され、鉱山キャンプがあいついで建設された。ゴールドラッシュにより、アメリカとカナダの間ではアラスカ方面の国境紛争が生じたが、1903年にアメリカに有利なかたちで解決された。
1911年には、ユーコン川の支流であるシックスティマイル川の源流、カナダ国境近くでも金が発見されている。