園城寺
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園城寺
II. 抗争と分裂

寺の別当職はのち長吏とよばれ、円珍門徒がついだ。やがて比叡山における円仁門徒との対立がはげしくなり、993年(正暦4)円仁門徒に坊舎を破壊された円珍門徒は、比叡山をおりて園城寺を拠点とした。以後、分裂した寺門と山門の抗争がつづき、しばしば山門の僧兵によって焼き打ちにあった。

兵火にもあったが、歴代の長吏が天皇家や摂関家などの帰依(きえ)をうけていたため、そのたびに復興をはたした。院政期以後は皇族の入寺もあいつぎ、聖護院、実相院、円満院などの門跡(もんぜき)も成立している。源頼朝、足利尊氏も崇敬したが、豊臣秀吉との関係はわるく、1595年(文禄4)破却、寺領没収の目にあった。しかし、間もなく返還されて再建がはじまり、徳川氏や毛利氏らの援助で復旧した。