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| I. | プロローグ |
年をとること。また「老いの繰り言(ごと)」のように老人をいうこともある。老人になるということは、生理的な変化であり、社会的、精神的な変化でもある。
日本で高齢化社会が注目されはじめてひさしい。かつては一般に老人、高齢者とは、65歳以上の人をさしていたが、現在では70歳以上を老人、高齢者とすることも多くなってきた。その理由として、高齢化社会のあり方を検討してきた厚生省(現、厚生労働省)の「心豊かで活力ある長寿社会づくりに関する懇談会」は、最終報告(1997年3月)の中で次のようにのべている。
「『高齢者』といった場合、老人福祉法では65歳以上をその施策の対象としているのに対し、老人保健法では原則として70歳以上を老人医療の対象としている。また、年金制度においては、これまでは60歳が年金支給開始年齢として位置付けられてきた。
このように、『高齢者』について法律上一般的な定義がある訳ではなく、個々の法律目的との関連において『高齢者』の範囲がそれぞれ決定されてきている。(略)男女とも平均寿命が世界で最高水準のわが国においては、元気で長生きする高齢者が増加し、高齢者自身の意識も大きく変化していることなどを考えると、『65歳以上』を高齢者とする考え方自体が現状に合ったものとは言い難くなってきている。(略)従って、一般的な意味での『高齢者』の範囲としては、『70歳以上』としてとらえ、70歳になるまでは社会で活躍できるような社会システムづくりを目指していくという考え方も必要である」
ただし、この報告の中でのべられている老人保健法は、2002年(平成14年)10月に改正され、施策対象は段階的に75歳以上へとひきあげられた。さらに同法は08年4月に「高齢者の医療の確保に関する法律」と改称され、65歳以上75歳未満の高齢者を前期高齢者とし、75歳以上の高齢者を後期高齢者とする新しい医療制度が創設された(→ 老人保健)。また、老齢基礎年金や老齢厚生年金も段階的に65歳へと支給開始年齢がひきあげられたり、ひきあげられることがきまっている(→ 年金)。
| II. | ほどこされる福祉 |
老人になると、概して生理的な機能低下がある。これは、老化(加齢)現象(エージング)といいかえることができる。40代の四十肩などといわれるものから、視力、聴力のおとろえ、白髪、皮膚のしみやかさつき、骨がもろくなる、腰がまがる、さらには老人性の認知症(痴呆:ちほう)など「老人性」とつくいろいろな病気まで幅広い。
そして、老人や老いといえば、受け身的にほどこされる者としてとらえられがちだ。老人が、老人問題や社会問題として年金や医療、介護の対象としてとりあげられ、社会福祉とむすびつけられることも多い。
たとえば老人福祉では、年金、保健と医療、雇用と就業、住宅、教育など総合的な老人の生活保障をいう。日本では、老人福祉は、1963年(昭和38年)に制定、施行された老人福祉法にもとづいておこなわれている。老人ホームや在宅福祉などに代表されるこれまでの老人福祉は、国や地方の公共団体や社会福祉法人によっておこなわれてきたが、近年は民間企業によるサービスやボランティアの活動なども多くなっている。
| III. | 新しい介護保険制度、老人医療制度 |
2000年(平成12年)4月から実施された介護保険制度は、1997年12月に公布された「介護保険法」にもとづくもので、国民からの保険料などをもとに高齢者に介護サービスを提供する。
また老人医療制度は、前述した「高齢者の医療の確保に関する法律」によっており、対象となるのは65歳以上の人である。とくにこの法律では2008年4月から、75歳以上の高齢者全員が加入する後期高齢者医療制度(長寿医療制度)がはじまった。この制度創設の理由は、病気になる確率が高い75歳以上の老人に対し、全体的かつじゅうぶんなケア(医療)をおこなうためとしているが、高齢化社会で老人医療費がふくらみつづけている現状から、現役世代と老人の負担公平化のため、老人に所得に応じて保険料など一定の負担をしてもらうことも創設の大きな目的である。
しかし、この制度は老人に冷たい制度で「現代の姥捨山」との批判が、老人や野党をはじめ各界から噴出し、国は負担軽減など制度の一部見直しをすることとなった。
| IV. | 老いの制度化 |
老いや老人というものが社会の中で数字に換算されたり、目にみえるようなかたちでいわれることがある。老人とは70歳からであるとしたり、白髪やしわができたら老人であるというように。確かにこれは、老いのひとつの物差しであるかもしれないが、老人といわれる人の中にも精神的に若い人がいたり、若者といわれる人でも老人のような人もいる。
とくに精神的な面では、自分はまだ老人ではないと思っている老人も多い。自分で自覚することで、老人は老人になる。また他人から老人というラベルをはられて、はじめてその人は老人になったことを知る。
たとえばそれは、社会的には子供が独立し、嫁や姑(しゅうとめ)などの関係ができること、また祖父母となること、配偶者の死などがあげられる。また施設や医療サービス、年金、介護などがうけられるということもあるだろう。
このような老いの表れは、老いが制度化される過程であるということもできる。まず、外からの老いの張り付け、すなわち老いの外在化がおこなわれる。次に制度への老いの結晶化、ないし老いの客体化がなされ、そして、強いられた老いが自分の主観的意識へ再繰り込みされていくのである。
| V. | 受け身の老人イメージ |
日本の老人観の調査によると、老人のイメージの多くは弱い、頑固、暗い、きたない、消極的、惨めなどと否定的なイメージでとらえられている。やさしい、あたたかいといった肯定的、好意的、同情的なものの割合は低かった。
老人は、政策や保護の対象、家庭生活や地域社会での重荷としてあつかわれ、役割を喪失した人としてとらえられがちで、そのことがマイナスイメージを高めている。現代社会では役割をもち、経済的、社会的に貢献できて、社会的再生産をおこなえる者が、社会の一員とみなされる。老人は、このような価値基準をもつ社会の中心には、ほとんど入ることができないからだ。→ 老年学
しかし現代社会では、老いることや老人は役にたたないものであるということをほとんどの人間が意識の奥底におしこんでいる。
たとえば、社会の第一線ではたらいている人であっても、老人に対し、役立たずであるなどとは声に出していえるわけではない。この社会をつくり、になってきたのはこの老人たちであり、また、今社会をうごかしている人々が老人となったとき、自分たちが役立たずといわれることになるのがわかっているからだ。
一方、老人のほうでも、自分自身を老人ではないとか、老いていないとか、役立たずではないと思いこもうとし、社会の中に自分がはたすべき役割をもとめる。さもなければ、社会の中の他者からあたえられた老人というラベルをみずからうけいれ、ありのままの自分をおしころして、社会からあたえられた、外見的な枠でくくられた老人に知らず知らずのうちになろうとする。
そのため本来なら、自分の生き方について選択できるはずの老人自身が、自分を否定的にしかとらえられなくなっている。それは老人が自分を受け身的で、施しをうけながら生きている役立たずだと思いこんでいるからだ。外からの枠でしか、老いの時期の自分を証明する手立てをもっていないと思っているのだ。
老人はその強迫的な思い込みによって、社会の再生産への参加をうながすシルバーパワー産業やボランティアなどにかかわったりしている。これは、老いてもなお何かに役だたなければいけない、無用ではないという無言の圧力が、老人をふくめた社会の人々をおそっているとみることもできる。
| VI. | 老人像はみずからがつくりあげる |
これだけ老人問題、老人福祉、高齢化社会とさけばれているにもかかわらず、老人や老いに対しては、社会がつくりあげた一方的なイメージばかりが強調される。制度や生物学的な側面からみた老人のイメージの枠ばかりがつくりだされる。しかし、それらをすべてあわせたところで、老人像や老いとは何かを浮き彫りにすることはむずかしい。ましてや老いそのもの、個々の老いをとらえることは不可能である。
老人といえば、マイナスイメージでみるか、死にむかうというきびしい現実から目をそむけるかのように、長寿者だけを美化する。また、老人のイメージを明るくするため、老人という呼び方をあらためようといろいろな呼び名をつけたりするが、それは老いを直視しないまま新しいイメージをつくり、満足していることにほかならない。
老いは、生物学的にいっても確かに肉体的に下降線をたどっていることは否定できない。だが、老いた主体は不完全なわけではなく、それ自体が老人、ありのままの老いなのである。しかし老人は老人観、老人イメージなどとして、枠でくくられ区別されてかたられてきた。それらはありのままの老いを、老いた当事者自身を、かたっていないのが実状である。
老いは、人生を自分の時間と物差しで再構成する時間である。人生の変化が不可逆的で、この後戻りできない状態を実感するのもまた、老いの時間なのではないだろうか。その人自身が時代や社会とかかわりをもち、しかも個人的存在として生きてきたことが、そこにはきざみこまれている。
また、老いが人生の終焉(しゅうえん)に近いこともわすれてはならない。そして、老いとは本来の自分の生き方、よりよい死に方を老いた人自身がみいだし、決定すべき時でもあるのではないだろうか。
老いを知るためには、外見的な枠だけではふじゅうぶんである。老人本人の声や老人の内面をも知ることによって、はじめて老いを知ることができるのだ。